呉懿の孫の呉喬

『三国志』巻三十四、二主妃子伝、先主穆皇后
先主穆皇后,陳留人也。兄吳壹,少孤,壹父素與劉焉有舊,是以舉家隨焉入蜀。(中略)壹官至車騎將軍,封縣侯。

陳留の呉懿(呉壹)は父の知人の劉焉に随行して一族を連れて益州に入り、後に妹が蜀漢劉備の皇后や劉禅の皇太后となりました。呉懿は最終的に蜀漢の(外戚として)車騎将軍・県侯まで出世。

『三国志』巻三十四、二主妃子伝、先主穆皇后、注引『孫盛蜀世譜』
壹孫喬,沒李雄中三十年,不為雄屈也。

この呉懿の孫の呉喬成漢李雄に30年ほど捕らえられましたが、李雄に屈服しなかったという人物でした。


さて、呉喬はどうやって李雄に捕まったのでしょうか。
李雄は303年に頭領となり、翌304年に即位。334年没。
約30年間も李雄に捕まっていながら、その李雄に屈しなかったとなると、該当期間は李雄が君主だった期間とほとんど重なることになるでしょう。
呉喬李雄に捕まったのは303年~309年が候補。(期間を数え年で26~32年間とすると)
この頃の李雄の勢力圏は蜀郡・汶山・梓潼・巴西・広漢・犍為など。
呉喬はこの地域にいたはずが、どのような経緯なのでしょうか。

呉懿の本籍は兗州の陳留郡です。また、劉備の養子の子・諸葛亮の孫・蜀郡の柳隠・薛氏らは蜀漢滅亡後に河東郡に移住させられました。(柳隠は晩年に帰郷)
蜀漢の名族でありながら巴蜀の豪族でない「呉懿の子孫」を巴蜀の地に残したままにするメリットはあまり無く、「呉懿の子孫」は蜀漢滅亡後には陳留郡や河東郡などの益州(・梁州)の外に移されたのではないでしょうか。
まあ、蜀漢でもでも州外の出身ながら現地の豪族化した者もいますが。(南中や丹陽など)


呉懿の子孫」が巴蜀に残った場合、中心地の成都かその周辺の蜀郡・犍為・広漢の辺りに住んでいたでしょう。
303年に李雄が成都を落とし、蜀人が流散した際に呉喬は逃げられず捕まったのかもしれません。

呉懿の子孫」が巴蜀を出た場合、何らかの仕事のためにこの地域にやってきたものと思われます。
わざわざ李雄が支配を広げている地域に避難しておきながら屈しないというのもおかしく、それ以前に私事でこの地域にやって来て留まるのもおかしな話です。
李特李雄の討伐に出されて敗れたか、先に現地の役人に就任していたところ巻き込まれたのいずれかではないでしょうか?

タグ:西晋 蜀漢 成漢

陳寿の話(詰め合わせ)

『三国志』の作者の陳寿蜀漢西晋2国に仕え、順風満帆とは言い難い生涯を送り、その中で書き上げた『三国志』など、興味深く、面白そうな人物です。

残念ながら、現在までの当ブログでは「華廙の交友」西晋の時に華廙と接点があったという箇所でしか取り上げていませんが。

記事はいずれ書くとして、今回は「他の方が書いた陳寿に絡む話」を紹介します。

まず陳寿の伝記は正史の『晋書』にあり、これが第一の情報源です。漢文が読めるならオススメです。
(日本語訳は「いつか読みたい晋書訳」でいつか読めるようになるでしょう)

『晋書』巻五十二、陳寿伝
撰魏吳蜀三國志,凡六十五篇。時人稱其善敘事,有良史之才。夏侯湛時著魏書,見壽所作,便壞己書而罷。張華深善之,謂壽曰:「當以晉書相付耳。」其為時所重如此。或云丁儀、丁廙有盛名於魏,壽謂其子曰:「可覓千斛米見與,當為尊公作佳傳。」丁不與之,竟不為立傳。壽父為馬謖參軍,謖為諸葛亮所誅,壽父亦坐被髠,諸葛瞻又輕壽。壽為亮立傳,謂亮將略非長,無應敵之才,言瞻惟工書,名過其實。議者以此少之。

その『晋書』には「陳寿丁儀丁廙の子に賄賂を要求して断られたので丁儀丁廙の伝記を書かなかった」「陳寿は父が諸葛亮に罰せられ、自身も諸葛瞻に軽んじられたので、諸葛亮諸葛瞻を貶める内容を書いた」などの悪評も載っています。

さて、ここに出てくる「陳寿の父」は蜀漢の武将の陳式とする説があります。根拠不明の疑わしい説。
(ちなみに今のウィキペディアでは陳式陳寿の祖父と断言していますが、根拠のない戯言の類でしょう)

三国与太噺
「陳式陳寿父子説」

こちらで三国志演義などの過去の陳式の扱いについてまとめてありますね。

陳寿に対する「諸葛亮を悪く書いている」という批判や(蜀漢正統論が広まった後の)蜀漢を正統に書かなかったことに対する批判などがある一方、陳寿諸葛亮蜀漢に対する深い思いを示すなどの反論も多数あります。

てぃーえすのメモ帳
「陳寿の本心その6」
「蜀における劉禅評」

例えば、こちらの内容は陳寿蜀漢への扱いの一端を示すものでしょう。


丁儀丁廙の立伝問題」についても丁儀丁廙の一族が誅殺されていることからありえない逸話として否定し、陳寿を擁護する意見もあります。
ややこしいことに、仮に賄賂問題が真実であってもこの逸話は丁儀丁廙ではなく丁固が対象だったと思われます。

雲子春秋
「陳陳丁」

三国与太噺
「陳寿と丁固」

元々の逸話が「丁梁州(丁固の子の丁弥)」とのやり取りだったものを『晋書』が別の丁氏の話として扱ったようです。


このような話も含めて陳寿は既に何人もの専門家によって研究されてきました。

いつか書きたい三国志
「陳寿にかんする情報収集」

こちらにはいくつかの研究の紹介と正史の掘り下げが行われています。


今回紹介した話やサイトは陳寿を巡る先人の成果の一部に過ぎませんが、知っておいて損はないでしょう。

タグ:蜀漢 西晋

劉備の大大大系図

劉備の親戚の親戚の親戚の親戚の親戚の・・・などを集めた巨大系図抜粋 をご用意しました!

蜀漢大系図

タグ:蜀漢 後漢 西晋 前趙

司馬師子

司馬師は三国志にも登場する司馬懿の長男であり、西晋創業者の一人。後世では景王や景帝とも呼ばれます。
字は子上。「劉備玄徳」形式なら「司馬師子上」。

司馬師の同母弟の年長者が司馬昭、異母弟の年長者が司馬亮です。
司馬亮西晋では宗室長老として重用されますが、「八王の乱」に絡む政変で殺害されました。

司馬亮の末裔は東晋まで生き延び、その一人の司馬景之東晋滅亡前後で北魏に亡命します。

『魏書』巻三十七、司馬景之伝
司馬景之,字洪略,晉汝南王亮之後。太宗時歸闕,爵蒼梧公,加征南大將軍。清直有節操,太宗甚重之。卒,贈汝南王。子師子襲爵。

この司馬景之の嫡男は司馬師子です。

司馬師子は景帝・司馬師の諱を犯すような名前ですが、司馬師の死から150年以上経ち、晋王朝も終わっていたのでセーフだったのでしょう。それとも二字名は別の判断なのでしょうか。

この司馬師子の名前の由来はおそらく「獅子」です。師子と獅子は同義。
ちなみに、司馬師子と同じ亡命二世に司馬金龍がおり、似たようなネーミングではないでしょうか。


余談ですが、逆に言えば「司馬師子上」の中に「獅子」が入っていることになりますね。
「司馬ライオン上」

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タグ:西晋 北魏

駙馬都尉・侍御史と鄭渾・鮑勛

『三国志』巻十六、鄭渾伝
太祖征漢中,以渾為京兆尹。(中略)及大軍入漢中,運轉軍糧為最。又遣民田漢中,無逃亡者。太祖益嘉之,復入為丞相掾。文帝即位,為侍御史,加駙馬都尉,遷陽平、沛郡二太守。

鄭渾は京兆尹や曹操の幕僚を務めた後、曹丕が魏王に即位すると侍御史となり、駙馬都尉が加えられました。
駙馬都尉は他の官位と複合で運用されることがあり、督漢中軍事の杜襲や領河東太守の趙儼では本官、侍御史の鄭渾や尚書の王観では加官してと記されています。
(地方では本官、中央でも加官)

『三国志』巻二、文帝紀、延康元年、注引『献帝伝』
癸丑,宣告羣寮。督軍御史中丞司馬懿、侍御史鄭渾、羊祕、鮑勛、武周等言:「(略)」
令曰:「(略)」

この鄭渾と同時期に侍御史だったのが鮑勛です。

『三国志』巻十二、鮑勛伝
久之,拜侍御史。延康元年,太祖崩,太子即王位,勛以駙馬都尉兼侍中
文帝受禪,勛每陳「(略)」

ただ、鮑勛曹丕が魏王だった時には「駙馬都尉兼侍中」だったとあります。

鮑勛伝と『献帝伝』の記述から、まず以下の3パターンが考えられます。
[1]鮑勛伝が間違っており、侍御史が正しい
[2]『献帝伝』が間違っており、「駙馬都尉兼侍中」が正しい
[3]どちらも正しく、禅譲直前に侍御史から「駙馬都尉兼侍中」となった

[1]が最も単純明快。鮑勛伝は他にも多少怪しい記述があり、元資料などに混乱・錯誤があった可能性があります。
[3]は不可能ではありませんが、考えづらいパターン。

[2]は別の疑問が生じます。
「兼侍中」という表現や制度は西晋以降では何度も見られますが、当時も同等のものだったのか不明。
侍中は加官となる場合が多い一方で、駙馬都尉も加官の時があります。
上述の後漢の例の他、では散騎中常侍に駙馬都尉が加官、西晋では散騎常侍に駙馬都尉が加官という記録があります。
「兼侍中」という書き方なら駙馬都尉が本官のようですが、他の事例を見ると侍中との組み合わせなら駙馬都尉の方が加官のように見えます。


そして鄭渾伝の記述からもう一つのパターンが考えられます。
[4]鮑勛曹丕が魏王の時に「侍御史・(加)駙馬都尉」
つまり鮑勛鄭渾と同じ官の組み合わせだったというものですね。
「兼侍中」は侍御史などの誤記か、その後に侍中になったという情報が混じったものではないでしょうか。

鮑勛曹操の末期に侍御史となり、曹丕が魏王になると駙馬都尉と加えられたとした方が妥当に思われますが、どうでしょう。
これで同時期に「侍御史加駙馬都尉」となった鄭渾と同じ官に就任したことになり、その鄭渾と共に禅譲勧進に参加。

そして禅譲後はそのままか、侍御史から侍中に転任(駙馬都尉は加官か本官)したのではないしょうか。

タグ: 後漢 西晋

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