蜀漢≒蜀漢

蜀漢について正史で「蜀漢」と書く時があります。『三国志』巻四十八、孫皓伝、元興元年、注漢晉春秋載晉文王與晧書曰:「(中略)方今主上聖明,覆幬無外,僕備位宰輔,屬當國重。唯華夏乖殊,方隅圮裂,六十餘載,金革亟動,無年不戰,暴骸喪元,困悴罔定,每用悼心,坐以待旦。將欲止戈興仁,為百姓請命,故分命偏師,平定蜀漢,役未經年,全軍獨克。(中略)」晋王司馬昭が呉の皇帝孫皓に送った手紙にある蜀漢平定を命じて1年...
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劉備、天下の英傑・群雄達に会う

『三国志』巻三十二、先主伝年十五,母使行學,與同宗劉德然、遼西公孫瓚俱事故九江太守同郡盧植。(中略)而瓚深與先主相友。瓚年長,先主以兄事之。劉備は15歳(175年)になると同郷の名臣盧植に師事し、そこで同門の公孫瓚に兄事しました。後に盧植は「黄巾の乱」討伐(184年)の将帥に選ばれ、公孫瓚は「張純の乱」討伐(188年頃)などで活躍。これらの戦乱の中で劉備も仲間を集めて軍功を立てていました。189年...
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劉備の従事中郎

『三国志』巻三十二、先主伝、建安二十四年秋,羣下上先主為漢中王,表於漢帝曰:「平西將軍都亭侯臣馬超、左將軍領長史鎮軍將軍臣許靖、營司馬臣龐羲、議曹從事中郎軍議中郎將臣射援、軍師將軍臣諸葛亮、盪寇將軍漢壽亭侯臣關羽、征虜將軍新亭侯臣張飛、征西將軍臣黃忠、鎮遠將軍臣賴恭、揚武將軍臣法正、興業將軍臣李嚴等一百二十人上言曰:(後略)」219年、劉備を漢中王とする上表を配下達が出しました。120人の名義中、...
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劉備の周旋と古参達

『三国志』巻三十六、関羽伝關羽字雲長,本字長生,河東解人也。亡命奔涿郡。先主於鄉里合徒眾,而羽與張飛為之禦侮。先主為平原相,以羽、飛為別部司馬,分統部曲。先主與二人寢則同牀,恩若兄弟。而稠人廣坐,侍立終日,隨先主周旋,不避艱險。関羽と張飛は劉備の故郷である涿郡から従っており、劉備からの恩愛は兄弟の如くでしたが、人前では彼らは1日中侍立し、また劉備の「周旋」に付き従って苦難もいとわなかったそうです。...
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魏延と黄権と鎮北将軍2

史書の情報に違和感がある時の当ブログ戦略の一つは、誤字・脱字を疑ってみること。過去の記事で何度も述べた通り、どの史書でも現存の記述が間違っている可能性はあります。『三国志』巻三十七、龐統伝統弟林,以荊州治中從事參鎮北將軍黃權征吳,值軍敗,隨權入魏,魏封列侯,至鉅鹿太守。『三国志』巻三十二、先主伝、章武二年二月,先主自秭歸率諸將進軍,緣山截嶺,於夷道猇亭駐營,自佷山通武陵,遣侍中馬良安慰五谿蠻夷,咸...
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魏延と黄権と鎮北将軍1

諸葛亮は魏に仕えた知人の地位にショックを受けたという逸話がありますが、黄権のように出世した知り合いもいました。どの国も降将を厚遇する傾向にありますが、明らかに寵愛された逸話のある孟達を超える待遇です。黄権が魏でこのように厚遇されたのは、立派な振る舞いで問題を起こさず20年近く魏に居たのと、元々蜀漢の重臣だったためでしょう。『三国志』巻四十三、黄権伝先主為漢中王,猶領益州牧,以權為治中從事。及稱尊號...
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諸葛亮と軻比能

蜀漢の丞相の諸葛亮は225年に南中を平定すると、227年に自ら漢中に移って北伐に乗り出します。228年春、この北伐を受けて魏の西部は震撼しますが、曹真・張郃・郭淮らの対応により撃退に成功しました。さらに魏は同年秋に呉への南征に出ますが、これは失敗。揚州方面で大敗しました。一方の諸葛亮は再び北伐を行い、翌229年春に武都・陰平2郡を獲得します。このように228年は魏にとって南方勢力に悩まされる年でし...
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陳到、享年90歳?

「蜀の陳将軍」でも述べたように陳到が劉備に仕えたのは豫州であり、時期は194年から201年までの間のはず。例えば、その陳到は194年に30歳なら、165年生まれ。『華陽国志』巻一、巴志、巴東郡章武元年,朐忍徐慮,魚復蹇機以失巴名上表自訟。先主聽復為巴東。南郡輔匡為太守。先主征吳,於夷道還,薨斯郡。以尚書令李嚴為都督,造設圍戍。嚴還江州,征西將軍汝南陳到為都督。到卒官,以征北大將軍南陽宗預為都督。預...
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義陽の董厥と樊建2

さらに問題なのが樊建。『三国志』巻三十五、諸葛亮伝、樊建建字長元。延熙(二)十四年,以校尉使吳,值孫權病篤,不自見建。權問諸葛恪曰:「樊建何如宗預也?」恪對曰:「才識不及預,而雅性過之。」後為侍中,守尚書令。251年に校尉として呉への使者になり、261年頃に侍中・守尚書令となりましたが、それ以前の経歴がさっぱり分かりません。侍中守尚書令は侍中・輔国将軍の董允や侍中の陳祗が就任して副宰相の立場となっ...
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義陽の董厥と樊建1

蜀漢末期の宰相・副宰相は、大将軍・録尚書事の姜維、都護・衛将軍・平尚書事の諸葛瞻と輔国大将軍・平尚書事の董厥、侍中・守尚書令の樊建です。(そして中常侍・奉車都尉の黄皓が影の宰相)姜維は蒋琬・費褘の時から副宰相の地位にあり、その後10年以上も宰相の座にありました。一方の諸葛瞻・董厥・樊建がこの地位に至るのは副宰相たる侍中・守尚書令の陳祗の死後のこと。この3者を見ると、諸葛亮の嫡男で劉禅の娘婿という究...
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