李特兄弟の前半生1

『晋書』巻一百二十、李特載記特少仕州郡,見異當時,身長八尺,雄武善騎射,沈毅有大度。李特は若くして州や郡に仕えました。当時の李特は既に略陽郡・臨渭県の人なので、雍州(又は秦州)や略陽郡(魏なら広魏郡)に属する仕事に就いたのでしょう。『晋書』巻一百二十、李特載記特父慕為東羌獵將。さて、父の李慕は「東羌猟将」となりました。謎の官位ですが、四男の李流の記録から薄っすらと予想がつきます。『晋書』巻一百二十...
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李特5兄弟の年齢

李輔・李特・李庠・李流・李驤の5兄弟の生年はいつでしょうか。没年・享年から計算して生年が割り出せる親族は以下の通り。三男李庠が247年生まれ。四男李流が248年生まれ。次男李特の三男李雄が274年生まれ。五男李驤の子の李寿が300年生まれ。次男李特の次男李蕩の四男の李班が288年生まれ。次男李特の三男李雄の四男の李期が314年生まれ。まず、五男の李驤の生年は248年以降であり、250年代生まれの可...
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李蕩の生年

李特の次男の李蕩は李雄の同母兄であり、成漢2代目君主となった李班の父でした。この李蕩は、没年はわかりますが享年の情報が無く、生年不詳です。算出可能な生年のある親族から絞り込んでみましょう。まず、同母弟の李雄が274年生まれ。(14ヶ月して誕生という聖人じみた逸話があります)李蕩の生年は最も近くて同年(の春)ですが、普通に考えて前年以前の可能性が高いでしょう。彼らの年齢差は同母兄弟なので余り大きくは...
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関羽「長生」と苻生・李暠・慕容熙

『三国志』巻三十六、関羽伝關羽字雲長,本字長生,河東解人也。関羽の字は「雲長」です。関雲長ここにあり!名前と字は関係のある文字が使われることが多く(例外もありますが)、「羽」と「雲長」は繋がりがありそうな字面です。浅学な私は熟語や典拠が思いつきませんが。ご意見募集中。さて、関羽の本来の字は「長生」でした。長生き、長命。縁起の良さそうな名前ですね。そして関羽の死から100年余り後、字が「長生」の大物...
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李蕩・李雄兄弟の誕生

李特の妻の羅氏は次男の李蕩と三男の李雄を生みましたが、それぞれ妊娠した時に夢を見ました。『晋書』巻一百二十一、李雄載記李雄字仲儁,特第三子也。母羅氏,夢雙虹自門升天,一虹中斷,既而生蕩。後羅氏因汲水,忽然如寐,又夢大蛇繞其身,遂有孕,十四月而生雄。常言吾二子若有先亡,在者必大貴。(訳文は「いつか読みたい晋書訳」などをご覧ください)そして片方が死んだら、生き残ったもう片方が大成する、と羅氏は常々言っ...
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李特5兄弟

略陽に移住した李虎の子の李慕には5人の息子がいました。『太平御覧』巻一百二十三、偏霸部七、蜀李特崔鴻『十六国春秋・蜀録』及魏武克漢中,特祖父虎歸魏,魏武嘉之,遷略陽,拜虎等為將軍。(中略)虎子慕為東羌獵將,慕凡有五子:輔、特、庠、流、驤。特身長八尺,雄武善騎射,沉毅有大度。『華陽国志』巻九、李特志李特,字玄休,略陽臨渭人也。(中略)特父慕,為東羌獵將。特兄弟五人:長兄輔,字玄政。次特。特弟庠,字玄...
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略陽臨渭の李特

『太平御覧』巻一百二十三、偏霸部七、蜀李特崔鴻『十六国春秋・蜀録』李特,字玄休,巴西宕渠人。(中略)及魏武克漢中,特祖父虎歸魏,魏武嘉之,遷略陽,拜虎等為將軍。內徙者亦萬餘家,散居隴右諸郡及三輔、弘農。所在號為巴人。李特の先祖は巴西宕渠の人でしたが、曹操が漢中を破った時(215年)に祖父の李虎が帰順し、略陽に移住していました。このように華北に移住させられた者は1万家余おり、隴右諸郡から三輔・弘農ま...
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巴西宕渠の李特

『魏書』巻九十六、賨李雄伝賨李雄,字仲儁,蓋廩君之苗裔也。其先居於巴西宕渠。『太平御覧』巻一百二十三、偏霸部七、蜀李特李特,字玄休,巴西宕渠人。賨の李特・李雄の先祖は宕渠県に住んでおり、本籍で言えば巴西宕渠人です。さて、賨(板楯蛮)は元々は「巴郡閬中夷」でした。『太平御覧』巻一百六十七、州郡部十三、山南道上、閬州『三巴記』閬中有渝水,賨民銳氣喜舞。故高祖樂其猛銳,數觀其舞,使樂人習之,故樂府中有巴...
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賨(板楯蛮)の李特

五胡十六国の一つの成漢は、李特の子の李雄が建てた国です。李特は巴の「賨」族の出身であり、正史には民族の神話から漢までの歴史が語られています。(その訳文はhttp://3guozhi.net/sy/m120.htmlをご覧ください)『後漢書』巻八十六、南蛮伝、板楯蛮至高祖為漢王,發夷人還伐三秦。秦地既定,乃遣還巴中,復其渠帥羅、朴、督、鄂、度、夕、龔七姓,不輸租賦,餘戶乃歲入賨錢,口四十。世號為板楯蠻夷。閬中有渝水,其人多居水左...
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呉懿の孫の呉喬

『三国志』巻三十四、二主妃子伝、先主穆皇后先主穆皇后,陳留人也。兄吳壹,少孤,壹父素與劉焉有舊,是以舉家隨焉入蜀。(中略)壹官至車騎將軍,封縣侯。陳留の呉懿(呉壹)は父の知人の劉焉に随行して一族を連れて益州に入り、後に妹が蜀漢の劉備の皇后や劉禅の皇太后となりました。呉懿は最終的に蜀漢の(外戚として)車騎将軍・県侯まで出世。『三国志』巻三十四、二主妃子伝、先主穆皇后、注引『孫盛蜀世譜』壹孫喬,沒李雄...
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