司馬師子

司馬師は三国志にも登場する司馬懿の長男であり、西晋創業者の一人。後世では景王や景帝とも呼ばれます。字は子上。「劉備玄徳」形式なら「司馬師子上」。司馬師の同母弟の年長者が司馬昭、異母弟の年長者が司馬亮です。司馬亮は西晋では宗室長老として重用されますが、「八王の乱」に絡む政変で殺害されました。司馬亮の末裔は東晋まで生き延び、その一人の司馬景之は東晋滅亡前後で北魏に亡命します。『魏書』巻三十七、司馬景之...
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劉庫仁の妻・公孫氏の一族

『北史』巻二十、劉庫仁伝劉庫仁字沒根,獨孤部人,(中略)建國三十九年,昭成暴崩,道武未立,苻堅以庫仁為陵江將軍、關內侯,令與衞辰分國眾統之。河西屬衞辰,河東屬庫仁。(中略)苻堅處衞辰在庫仁下,衞辰怒,叛,攻庫仁。庫仁伐衞辰,破之。苻堅賜庫仁妻公孫氏,厚其資送。慕容垂圍苻丕於鄴,又遣將平規攻堅幽州刺史王永于薊。庫仁遣妻兄公孫希助永擊規,大破之。前秦は拓跋部の代国を滅ぼすと(376年)、北方を分割して...
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公孫度の末裔、公孫表

『魏書』巻三十三、公孫表伝公孫表,字玄元,燕郡廣陽人也。遊學為諸生。慕容沖以為尚書郎。慕容垂破長子,從入中山。慕容寶走,乃歸闕。以使江南稱旨,拜尚書郎。後為博士。(中略)太宗初,表參功勞將軍元屈軍事,討吐京叛胡,為胡所敗。表以先諫止屈,太宗善之,賜爵固安子。(中略)時年六十四。燕郡広陽の人である公孫表は360年に生まれ、(前秦で)遊学して諸生となり、後に西燕(384年~394年)に仕えて慕容沖の代...
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隋の尚書令の韋孝寛

『周書』巻八、静帝、大象二年十一月甲辰,達奚儒破楊永安於沙州。沙州平。乙巳,歲星守太微。丁未,上柱國、鄖國公韋孝寬薨。北朝の名将として名高い韋孝寛の最終官位は主に上柱国でした。(+相州総管)「大周使持節太傅上柱国雍州牧鄖襄公」墓誌によると韋孝寛には「使持節・太傅・上柱国・都督懐衡黎相趙洺貝滄瀛魏冀十一州諸軍事・雍州牧」が追贈されています。上柱国に、太傅や雍州牧などが追加。この翌年に北周が終わり、隋...
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東魏の堯雄

『魏書』巻四十二、堯暄伝堯暄,字辟邪,上黨長子人也。本名鍾葵,後賜為暄。祖僧賴,太祖平中山,與趙郡呂舍首來歸國。暄聰了,美容貌,為千人軍將、東宮吏。高宗以其恭謹,擢為中散。奉使齊州,檢平原鎮將及長史貪暴事,推情診理,皆得其實。除太尉中給事、兼北部曹事,後轉南部。太和中,遷南部尚書。于時始立三長,暄為東道十三州使,更比戶籍。賜獨車一乘,廐馬四匹。時蕭賾遣其將陳顯達寇邊,以暄為使持節、假中護軍、都督南...
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独孤信の三荊平定2

「独孤信の三荊平定1」の続き。今度は東魏側を見ましょう。『魏書』巻七十七、辛雄伝、辛纂永熙三年,除使持節、河內太守。齊獻武王赴洛,兵集城下,纂出城謁王曰:「纂受詔於此,本有禦防。大王忠貞王室,扶奬顛危,纂敢不匍匐。」王曰:「吾志去姦佞,以康國道,河內此言,深得王臣之節。」因命前侍中司馬子如曰:「吾行途疲弊,宜代吾執河內手也。」便入洛。九月,行西荊州事、兼尚書、南道行臺,尋正刺史。時蠻酋樊五能破析陽...
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独孤信の三荊平定1

534年の秋、孝武帝が関中に逃れると南道大行台・荊州刺史の賀抜勝もまた関中に向かおうとします。しかし孝武帝を追っていた高歓が潼関を落とすと賀抜勝は荊州に引き返そうとしますが、既に侯景・高昂に押さえられており、敗れた賀抜勝は梁へ亡命しました。ここから関中側を西魏、高歓側を東魏としましょう。『資治通鑑』巻一百五十六、梁紀十二、中大通六年魏賀拔勝之在荊州也,表武衛將軍獨孤信為大都督。東魏既取荊州,魏以信...
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賀抜勝の亡命

『魏書』巻八十、賀抜勝伝出帝末,詔勝統眾北赴京師。軍次汝水,出帝入關。勝率所部欲從武關趣長安。行至析陽,聞齊獻武王平潼關,擒毛鴻賓,勝懼,復走荊州,城人閉門不納。時獻武王已遣行臺侯景、大都督高敖曹討之,勝戰敗,為流矢所中,乃率左右五百餘騎奔蕭衍。明年,從間道投寶炬。勝好行小數,志大膽薄,周章南北,終無所成,致歿於賊中。『周書』巻十四、賀抜勝伝屬齊神武與帝有隙,詔勝引兵赴洛,至廣州,猶豫未進,而帝已...
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賀抜勝の南征7

賀抜勝の下には文人や名門漢人もいました。『周書』巻十四、賀抜勝伝勝軍於樊、鄧之間。梁武勅續曰:「賀拔勝北間驍將,爾宜慎之。」續遂城守不敢出。尋進位中書令,增邑二千戶,進爵琅邪郡公。續遣柳仲禮守穀城,勝攻之未拔。屬齊神武與帝有隙,詔勝引兵赴洛,至廣州,猶豫未進,而帝已西遷。勝還軍南陽,遣右丞陽休之奉表入關,又令府長史元潁行州事。勝自率所部,將西赴關中,進至淅陽,詔封勝太保、錄尚書事。時齊神武已陷潼關...
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賀抜勝の南征6

北魏の南襄州(湖陽)・南雍州(蔡陽)・南荊州(安昌)は梁の雍州(襄陽)と北司州(義陽)の間にあり、南に少し突出した地域です。この一帯の諸蛮が北魏に帰順したおかげで維持できた地域ですが、南荊州(安昌)は既に陥落しており、南襄州(湖陽)よりも北の地域も梁の攻撃を受けていることから支配度は低下していた可能性があります。「六鎮の乱」以降、この地域の諸蛮の離反も続いていたようです。『周書』巻十四、賀抜勝伝孝...
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