三公と長安遷都4

「三公と長安遷都3」の続き。反対した太尉黄琬・司徒楊彪を罷免した董卓は、次の太尉の趙謙と司徒の王允らを用いて遷都を実行。司空荀爽は王允と共に密謀を立てたそうですがすぐに死去。『後漢書』巻九、献帝紀、初平元年二月乙亥,太尉黃琬、司徒楊彪免。庚辰,董卓殺城門校尉伍瓊、督軍校尉周珌。以光祿勳趙謙為太尉,太僕王允為司徒。丁亥,遷都長安。董卓驅徙京師百姓悉西入關,自留屯畢圭苑。(中略)三月乙巳,車駕入長安,...
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三公と長安遷都3

『後漢書』巻九、献帝紀、初平元年二月乙亥,太尉黃琬、司徒楊彪免。庚辰,董卓殺城門校尉伍瓊、督軍校尉周珌。以光祿勳趙謙為太尉,太僕王允為司徒。丁亥,遷都長安。董卓驅徙京師百姓悉西入關,自留屯畢圭苑。(中略)三月乙巳,車駕入長安,幸未央宮。己酉,董卓焚洛陽宮廟及人家。戊午,董卓殺太傅袁隗、太僕袁基,夷其族。夏五月,司空荀爽薨。六月辛丑,光祿大夫种拂為司空。遷都に反対した太尉の黄琬と司徒の楊彪が免官とな...
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潁川の韓融

潁川四長の二代目では、司空に登った荀爽が最も著名。次が陳羣の父の陳紀でしょう。その2人の同輩として名を残した者がいます。『後漢書』巻六十二、韓韶伝子融,字元長。少能辯理而不為章句學。聲名甚盛,五府並辟。獻帝初,至太僕。年七十卒。韓韶の子の韓融ですね。記述量はかなり少ないものの、名声は甚だ盛んであり、五府から招かれ、後に太僕に登って70歳まで生きたというまあまあ大物です。韓融の記録は他の箇所や資料で...
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陳紀と太尉

『後漢書』巻六十二、陳寔伝、陳紀即時之郡。璽書追拜太僕,又徵為尚書令。建安初,袁紹為太尉,讓於紀;紀不受,拜大鴻臚。年七十一,卒於官。190年春頃に逃げるように平原相として任地に入った陳紀は、後から太僕に任命され、その後にまた尚書令として召喚されたそうです。尚書令の時期は不明。また、袁紹が太尉に任命された際にその地位を譲られますが辞退し、大鴻臚を拝命しました。『全三国文』巻二十六、邯鄲淳『漢鴻臚陳...
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陳紀と董卓

『後漢書』巻七十二、董卓伝卓素聞天下同疾閹官誅殺忠良,及其在事,雖行無道,而猶忍性矯情,擢用羣士。乃任吏部尚書漢陽周珌、侍中汝南伍瓊、尚書鄭公業、長史何顒等。以處士荀爽為司空。其染黨錮者陳紀、韓融之徒,皆為列卿。幽滯之士,多所顯拔。『三国志』巻三十八、許靖伝除尚書郎,典選舉。靈帝崩,董卓秉政,以漢陽周毖為吏部尚書,與靖共謀議,進退天下之士,沙汰穢濁,顯拔幽滯。進用潁川荀爽、韓融、陳紀等為公、卿、郡...
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陳紀の出仕

『後漢書』巻六十二、陳寔伝、陳紀紀字元方,亦以至德稱。兄弟孝養,閨門廱和,後進之士皆推慕其風。及遭黨錮,發憤著書數萬言,號曰陳子。黨禁解,四府並命,無所屈就。遭父憂,每哀至,輒歐血絕氣,雖衰服已除,而積毀消瘠,殆將滅性。豫州刺史嘉其至行,表上尚書,圖象百城,以厲風俗。董卓入洛陽,乃使就家拜五官中郎將,不得已,到京師,遷侍中。陳紀が41歳となる169年に第二次党錮の禁が発生。陳紀は父・陳寔と同様に禁...
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陳紀の評判

後漢~三国の頃の潁川名士として特に著名な一族が、荀氏と陳氏です。『世説新語』第九、品藻正始中,人士比論,以五荀方五陳:荀淑方陳寔,荀靖方陳諶,荀爽方陳紀,荀彧方陳群,荀顗方陳泰。後世ではその両家の人物を対比して論じるといったことがあり、そこで荀爽と対比された者が陳紀でした。『後漢書』巻六十二、陳寔伝、陳紀紀字元方,亦以至德稱。兄弟孝養,閨門廱和,後進之士皆推慕其風。陳紀は字を元方といい、陳寔の6人...
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三公と長安遷都2

「三公と長安遷都1」の続き。三公を集めた董卓は、遷都について太尉の黄琬と司徒の楊彪の反対を受けますが、司空の荀爽からは支持され、またその後に手を回して黄琬と楊彪を罷免しました。『後漢書』巻七十二、董卓伝及聞東方兵起,懼,乃鴆殺弘農王,欲徙都長安。會公卿議,太尉黃琬、司徒楊彪廷爭不能得,而伍瓊、周珌又固諫之。卓因大怒曰:「卓初入朝,二子勸用善士,故相從,而諸君到官,舉兵相圖。此二君賣卓,卓何用相負!...
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三公と長安遷都1

董卓の洛陽破壊は後漢崩壊への大きな一撃となりました。外敵によって首都が吹き飛ぶパターンはしばしばありますが、宰相が率先して首都を破壊するのは余程のことです。『後漢書』巻七十二、董卓伝於是遷天子西都。初,長安遭赤眉之亂,宮室營寺焚滅無餘,是時唯有高廟、京兆府舍,遂便時幸焉。後移未央宮。於是盡徙洛陽人數百萬口於長安,步騎驅蹙,更相蹈藉,飢餓寇掠,積尸盈路。卓自屯留畢圭苑中,悉燒宮廟官府居家,二百里內無...
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司空荀爽

『後漢書』巻九、献帝紀、永漢元年(閏)十二月戊戌,司徒黃琬為太尉,司空楊彪為司徒,光祿勳荀爽為司空。『後漢書』巻六十二、荀淑伝、荀爽因復就拜平原相。行至宛陵,復追為光祿勳。視事三日,進拜司空。爽自被徵命及登台司,九十五日。因從遷都長安。爽見董卓忍暴滋甚,必危社稷,其所辟舉皆取才略之士,將共圖之,亦與司徒王允及卓長史何顒等為內謀。會病薨,年六十三。名誉ある三公の地位に就いた荀爽でしたが、翌年初頭に董...
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Author:三文寒士
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