268年の上位将軍

再び西晋重臣編。主に前回の尚書編に関する話題です。「268年の尚書省」で出した当時の尚書省の上位者賈充: 守尚書令・車騎将軍・散騎常侍・魯公羊祜: 尚書左僕射・衛将軍・散騎常侍・鉅平侯司馬伷: 尚書右僕射・撫軍将軍・東莞王ここで車騎将軍・衛将軍・撫軍将軍という中央系の上位将軍位が揃っています。他の中央系の上位将軍は以下が該当しそうです。司馬攸: 驃騎将軍・斉王甄悳: 特進・鎮軍大将軍・広安公宗室(...
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劉毅の生年

西晋の劉毅の生年考察。『晋書』巻四十五、劉毅伝年七十,告老。久之,見許,以光祿大夫歸第,門施行馬,復賜錢百萬。後司徒舉毅為青州大中正,尚書以毅懸車致仕,不宜勞以碎務。陳留相樂安孫尹表曰(中略)司徒魏舒、司隸校尉嚴詢與毅年齒相近,(後略)劉毅は70歳になると引退を求め、後に許可されたとあります。この70歳が左僕射の時ならば、283年頃の話となるため、214年頃が生年となります。また、司徒の魏舒と年齢...
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2人の劉毅

中国史上で同姓同名の人物はよく見つかりますが、伝が立てられるほど著名な人物が同じ史書内に複数いるのは珍しいことです、そして晋書には2人の劉毅の列伝があります。『晋書』巻四十五、劉毅伝劉毅字仲雄,東萊掖人。一人目が西晋の劉毅です。魏の後期に官僚となり、西晋では武帝の司隷校尉や尚書左僕射に上った高官の一人。光禄大夫(・開府儀同三司)が最終官です。直言や綱紀粛正が評価された人物でした。『晋書』巻八十五、...
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劉準の発言×3

宋最後の皇帝となった劉準は、最初から最後まで蕭道成(南斉の高帝)の傀儡であり、宋書には個人的なエピソードは全くありません。しかし、彼には1つ有名なセリフがあります。「生まれ変わっても皇帝の家に生まれたくない」というものですね。これが載っている資治通鑑にはさらに他の発言(合計3件)や行動も載っています。『資治通鑑』一百三十五、斉紀一、建元元年(四月)辛卯,宋順帝下詔禪位于齊。壬辰,帝當臨軒,不肯出,...
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劉昱の一撃、劉昱への一撃

劉昱(後廃帝)の「天性好殺」なエピソードは色々ありますが、正直なところ私が逐一取り上げても面白くないでしょう。さて、477年に(廃立を計画した)杜幼文らを誅殺する事件がありました。『宋書』巻九、後廃帝紀(元徽五年)六月甲戌,誅司徒左長史沈勃、散騎常侍杜幼文、游擊將軍孫超之、長水校尉杜叔文,大赦天下。(中略)杜延載、沈勃、杜幼文、孫超,皆躬運矛鋋,手自臠割。執幼文兄叔文於玄武湖北,昱馳馬執矟,自往刺...
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肥壮な劉彧

宋の明帝・劉彧は猜疑の皇帝として有名と思われますが、彼が太っていたことも有名でしょう。『資治通鑑』一百三十、宋紀十二、泰始元年(前略)湘東王彧、建安王休仁、山陽王休祐,皆肥壯,帝為竹籠,盛而稱之,以彧尤肥,謂之「豬王」,(後略)文帝の子の劉彧・劉休仁・劉休祐はいずれも恰幅が良く、特に劉彧は太っていたため「猪王」と呼ばれていました。日本語で言えば、「豚王」ですね。『太平御覧』巻七百四十三、疾病部、陰...
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劉子業と裸の報い

劉子業(前廃帝)は中国史上の暴君番付で上位に入りそうな人物とされています。「淫虐」なタイプですね。個人的には擁護点もいくつかあるのですが、今回は淫虐な部分を取り上げます。『資治通鑑』一百三十、宋紀十二、泰始元年帝畏忌諸父,恐其在外為患,皆聚之建康,拘於殿內,毆捶陵曳,無復人理。湘東王彧、建安王休仁、山陽王休祐,皆肥壯,帝為竹籠,盛而稱之,以彧尤肥,謂之「豬王」,(中略)嘗以木槽盛飯,幷雜食攪之,掘...
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酒飲み劉駿

宋の孝武帝・劉駿は宋書などでは暴君の類とされています。一方で才覚は評価されることが多く、現在では彼の中央集権化(皇帝権力強化)に着目した評価が行われています。その劉駿の際立った個性の一つが「酒飲み皇帝」です。『南史』巻二、宋孝武帝紀帝末年為長夜之飲,每旦寢興,盥口嗽敕畢,仍復命飲,俄頃數斗,憑几惛睡,若大醉者。或外有奏事,便肅然整容,無復酒色。外內服其神明,莫敢弛惰。『資治通鑑』一百二十九、宋紀十...
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作詞家傅玄

傅玄は弾劾や直言の剛直な士であるだけでなく、優れた文人でもありました。キャリアの初頭に著作(国史を扱う部署)に選ばれており、魏書の編纂にも関わっています。『晋書』巻四十七、傅玄伝州舉秀才,除郎中,與東海繆施俱以時譽選入著作,撰集魏書。(中略)玄少時避難於河內,專心誦學,後雖顯貴,而著述不廢。撰論經國九流及三史故事,評斷得失,各為區例,名為傅子,為內、外、中篇,凡有四部、六錄,合百四十首,數十萬言,...
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剛直短気な傅玄

西晋の司隷校尉まで登った傅玄は、首都圏の監察・弾劾を担当する司隷校尉に相応しい気質の人物でした。『晋書』巻四十七、傅玄伝傅玄字休奕,北地泥陽人也。(中略)性剛勁亮直,不能容人之短。(中略)所居稱職,數上書陳便宜,多所匡正。(中略)彼は剛直で人の過失を許せない性格であり、魏の時代から上表して多くの物事を正してきました。『晋書』巻三、武帝紀、泰始二年九月乙未,散騎常侍皇甫陶、傅玄領諫官,上書諫諍,(後...
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