拓跋力微の兄2

さて、魏の頃に拓跋部の首領となった拓跋力微の兄が河西に入り、禿髪部の始祖となったとすると、晋書では書かれていない背景が推測できます。『魏書』巻一、序紀、神元帝元年,歲在庚子。先是,西部內侵,國民離散,依於沒鹿回部大人竇賓。始祖有雄傑之度,時人莫測。後與賓攻西部,軍敗,(中略)久之,賓(中略)乃進其愛女。(中略)始祖請率所部北居長川,賓乃敬從。積十數歲,德化大洽,諸舊部民,咸來歸附。(220年?)に...
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拓跋力微の兄

聖武帝拓跋詰汾の子である神元帝拓跋力微に、兄がいたようです。『新唐書』巻七十五、宰相世系表五上、源氏源氏出自後魏聖武帝詰汾長子疋孤。七世孫禿髮傉檀,據南涼,(後略)それが聖武帝拓跋詰汾の長男の拓跋疋孤です。その七世孫が南涼の禿髮傉檀とあります。『晋書』巻一百二十五、禿髪烏孤載記禿髮烏孤,河西鮮卑人也。其先與後魏同出。八世祖匹孤率其部自塞北遷于河西,其地東至麥田、牽屯,西至濕羅,南至澆河,北接大漠。...
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拓跋と匈奴4

『魏書』巻一、序紀、神元帝元年,歲在庚子。先是,西部內侵,國民離散,依於沒鹿回部大人竇賓。始祖有雄傑之度,時人莫測。後與賓攻西部,軍敗,失馬步走,始祖使人以所乘駿馬給之。賓歸,令其部內求與馬之人,當加重賞,始祖隱而不言。久之,賓乃知,大驚,將分國之半,以奉始祖,始祖不受,乃進其愛女。賓猶思報恩,固問所欲。始祖請率所部北居長川,賓乃敬從。積十數歲,德化大洽,諸舊部民,咸來歸附。二十九年,賓臨終,戒其...
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拓跋力微と匈奴

拓跋力微が魏との和親を諸大人に布告する際に、不毛に(中原と)抗争した匈奴を悪しき前例として挙げています。『魏書』巻一、序紀(神元帝)三十九年,遷於定襄之盛樂。夏四月,祭天,諸部君長皆來助祭,唯白部大人觀望不至,於是徵而戮之,遠近肅然,莫不震懾。始祖乃告諸大人曰:「我歷觀前世匈奴、蹋頓之徒,苟貪財利,抄掠邊民,雖有所得,而其死傷不足相補,更招寇讎,百姓塗炭,非長計也。」於是與魏和親。同時に(烏桓の)...
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拓跋力微の生年2

174年頃は鮮卑の全盛期です。まもなく檀石槐が180年頃に死に、息子の和連の代になると結束していた鮮卑は次第にバラバラになり、和連が180年代に死ぬと同族で内紛が起き、ますます低迷します。その後、200年代には檀石槐の一族の歩度根や新興者の軻比能らが有力な鮮卑となり、軻比能を中心に230年代まで中部・西部の鮮卑が魏と交戦(或いは融和)しています。その間の拓跋部の動静を当てはめると、檀石槐体制が崩れ...
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拓跋力微の生年

北魏の太廟で祀られた始祖達の筆頭格が始祖・神元帝拓跋力微です。拓跋力微はかつて漢の領地だった盛楽に拠点を移し、魏や西晋と交流を持ちつつ勢力を強大にするなど拓跋部の台頭と中原への進出を進めた点で伝説ではなく歴史の面でまさに始祖と言うべき存在でした。『魏書』巻一、序紀始祖神元皇帝諱力微立。生而英叡。元年,歲在庚子。(中略)四十二年,遣子文帝如魏,且觀風土。魏景元二年也。(中略)凡饗國五十八年,年一百四...
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2人の推寅

拓跋氏の重要な先祖に「最初の南遷を行った宣帝拓跋推寅」と「二度目の南遷を企図した献帝拓跋隣」がいます。『魏書』巻一、序紀宣皇帝諱推寅立。南遷大澤,方千餘里,厥土昏冥沮洳。謀更南徙,未行而崩。(六代略)獻皇帝諱隣立。時有神人言於國曰:「此土荒遐,未足以建都邑,宜復徙居。」帝時年衰老,乃以位授子。聖武皇帝諱詰汾。獻帝命南移,山谷高深,九難八阻,於是欲止。有神獸,其形似馬,其聲類牛,先行導引,歷年乃出。...
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匈奴の蹋頓

後漢の末に蹋頓という人物がいました。『三国志』巻三十、烏丸伝漢末,遼西烏丸大人丘力居,眾五千餘落,(中略)後丘力居死,子樓班年小,從子蹋頓有武略,代立,總攝三王部,眾皆從其教令。『三国志』巻十四、董昭伝袁尚依烏丸蹋頓,太祖將征之。三国志の記録で蹋頓は烏丸とされています。後漢書では「烏桓」とありますが、これは同じものを指していますね。また、資治通鑑でも「遼西烏桓蹋頓」とあり、他でも「柳城の烏桓を討っ...
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匈奴よりも鮮卑

南朝の資料で北魏は匈奴系。北朝の資料で北魏は鮮卑系。魏書で宇文部は匈奴系。周書で宇文部は鮮卑系。自称が鮮卑系、より早い段階の他称が匈奴系となるのは何か理由があるのでしょうか。少なくとも彼らが台頭した頃には匈奴は没落し、鮮卑が大勢力となっていましたが、これが原因でしょうか。『後漢書』巻九十、鮮卑伝北單于逃走,鮮卑因此轉徙據其地。匈奴餘種留者尚有十餘萬落,皆自號鮮卑,鮮卑由此漸盛。実際にその流れで匈奴...
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拓跋と匈奴3

魏書は宇文部を匈奴と書いていますが、この宇文部とも接点があります。『魏書』巻一、序紀平皇帝諱綽立,章帝之少弟也。雄武有智略,威德復舉。七年,匈奴宇文部大人莫槐為其下所殺,更立莫槐弟普撥為大人。帝以女妻撥子丘不懃。帝饗國七年而崩。(中略)昭皇帝諱祿官立,始祖之子也。分國為三部:帝自以一部居東,在上谷北,濡源之西,東接宇文部;以文帝之長子桓皇帝諱猗㐌統一部,居代郡之參合陂北;以桓帝之弟穆皇帝諱猗盧統一...
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