司馬師と司馬昭の部下

司馬師の部下で、司馬昭の部下にもなった人物一覧。(ここで言う「部下」は属官のことです)賈充:『晋書』巻四十、賈充伝累遷黃門侍郎、汲郡典農中郎將。參大將軍軍事,從景帝討毋丘儉、文欽於樂嘉。帝疾篤,還許昌,留充監諸軍事,以勞增邑三百五十戶。後為文帝大將軍司馬,轉右長史。大将軍司馬師の参軍事として毌丘倹討伐に従軍し、司馬師が許昌に帰った後の現地の諸軍を統制しています。(この時、許昌の本軍は司馬昭が統率す...
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司馬昭の政権継承

司馬昭が司馬師から政権を継承したのはどうだったのでしょうか。『三国志』巻四、高貴郷公紀(正元二年)春正月乙丑,鎮東將軍毌丘儉、揚州刺史文欽反。戊寅,大將軍司馬景王征之。(中略)閏月己亥,破欽于樂嘉。欽遁走,遂奔吳。甲辰,安風津都尉斬儉,傳首京都。(中略)司馬景王薨于許昌。二月丁巳,以衞將軍司馬文王為大將軍,錄尚書事。255年、正月に毌丘倹らが反乱すると大将軍司馬師が征伐に向かい、翌月(閏正月)に毌...
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司馬師の政権継承

252年秋、魏の政権を掌握していた太傅の司馬懿が亡くなり、息子の司馬師が引き継ぎます。『三国志』巻四、斉王紀(嘉平三年)秋七月壬戌,皇后甄氏崩。辛未,以司空司馬孚為太尉。戊寅,太傅司馬宣王薨,以衞將軍司馬景王為撫軍大將軍,錄尚書事。四年春正月癸卯,以撫軍大將軍司馬景王為大將軍。この時、司馬師は衛将軍から撫軍大将軍(・録尚書事)となり、翌年に大将軍に進んでいます。『晋書』巻二、景帝紀(前略)事平,以...
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司馬昭が語る5

「司馬昭が語る3」で省略した発言に、唐彬伝にある豫州の鬼才・唐彬が推薦された際の複数の発言があります。『晋書』巻四十二、唐彬伝于時僚佐皆當世英彥,見彬莫不欽悅,稱之於文帝,薦為掾屬。帝以問其參軍孔顥,顥忌其能,良久不答。陳騫在坐,斂板而稱曰:「彬之為人,勝騫甚遠。」帝笑曰:「但能如卿,固未易得,何論於勝。」因辟彬為鎧曹屬。帝問曰:「卿何以致辟?」對曰:「修業陋巷,觀古人之遺迹,言滿天下無口過,行滿...
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鍾会、司馬昭を語る

正史中で、鍾会の司馬昭に関する発言は2箇所あります。(私の知る限り)1つが司馬昭の書簡(賈充の派遣や司馬昭の長安入り)を入手した時の発言です。『三国志』巻二十八、鍾会伝(鍾)會得書,驚呼所親語之曰:「但取鄧艾,相國知我能獨辦之;今來大重,必覺我異矣,便當速發。事成,可得天下;不成,退保蜀漢,不失作劉備也。我自淮南以來,畫無遣策,四海所共知也。我欲持此安歸乎!」司馬昭のことを「相国」と呼び、「ただ鄧...
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艾艾と言ったのは

鄧艾に関する有名な逸話に、吃音をからかわれたところ上手く言い返したというものがあります。『世説新語』第二、言語鄧艾口喫,語稱艾艾。晉文王戲之曰:「卿云艾艾,定是幾艾?」對曰:「鳳兮鳳兮,故是一鳳。」世説新語にもあるこの逸話は、司馬昭と鄧艾のやり取りとされています。このような逸話はそもそも創作である可能性がありますが、そうでないとしても司馬昭が鄧艾をいじるのは状況的にあり得なさそうな気がします。そこ...
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鍾会を危惧する人達

伐蜀において鍾会の派遣を危惧した者で最も有名なのは、司馬昭の部下の邵悌です。『三国志』巻二十八、鍾会伝初,文王欲遣會伐蜀,西曹屬邵悌求見曰:「今遣鍾會率十餘萬眾伐蜀,愚謂會單身無重任,不若使餘人行。」文王笑曰:「(中略)卿不須憂此,慎莫使人聞也。」この他に記録の無い(そして地位も低い)人物のせっかくの進言は、司馬昭に採用されず、むしろ「言いふらすな」と言われています。実際にこの会話があったとしても...
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司馬昭、鍾会、平蜀の役2

司馬昭が鍾会の部下につけた顔ぶれを見てみます。『晋書』巻三十六、衛瓘伝鄧艾、鍾會之伐蜀也,瓘以本官持節監艾、會軍事,行鎮西軍司,給兵千人。まずは監軍・行鎮西軍司(軍師)の衛瓘。これは鎮西将軍鍾会の軍師のことですが、同時に鄧艾らの監軍事も兼ねています。実質、蜀漢征伐軍全体のお目付け役ですね。後に鍾会の告発と司馬昭の命令により鄧艾を捕らえ、続けて叛いた鍾会の平定に関わっています。(ちなみに荀勗の推薦に...
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司馬昭、鍾会、平蜀の役

司馬昭が鄧艾を恐れていたとすると、同じく平蜀の主将だった鍾会の方はどうでしょうか。鍾会は様々な伝で野心家と書かれており、その暴走を予見した者達の逸話もあります。『三国志』巻二十八、鍾会伝初,文王欲遣會伐蜀,西曹屬邵悌求見曰:「今遣鍾會率十餘萬眾伐蜀,愚謂會單身無重任,不若使餘人行。」例えば司馬昭の部下の邵悌が、鍾会が蜀漢征伐で十万余りを率いることに対して、独り身(で人質となる子がいない)鍾会よりも...
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司馬昭が最も恐れた男

司馬昭は三国共に敵がいましたが、いずれも巧みに対処し、何人かに対しては「大したことはない」といった発言が残っています。(例えば、姜維)その司馬昭が最も恐れていた者の候補に、私は魏末の名将鄧艾を挙げます。『三国志』巻二十八、鄧艾伝後為典農綱紀,上計吏,因使見太尉司馬宣王。宣王奇之,辟之為掾,遷尚書郎。元々、鄧艾は司馬懿に見出されて中央に入り、後に共同で淮南の開発を進めています。『晋書』巻二、景帝紀帝...
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