朔方郡の復活2

「朔方郡の復活」で取り上げた通典の記述には、地理志などで見られる紛らわしい記述があります。それは、夏州は漢王朝では朔方郡にあったとある一方で、同じ場所が赫連勃勃の首都(統万城)だったと書いてあることによる齟齬です。統万城は漢代の上郡にあるため、これは正確ではありません。地理志などでは「同じ地域の正確な所属の推移」ではなく「名称の由来となった地域の歴史」を載せることがしばしばあります、そのため、南朝...
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前趙と愍帝

『晋書』巻一百一、劉元海載記永興元年,元海乃為壇于南郊,僭即漢王位,下令曰:「(中略)黃巾海沸於九州,羣閹毒流於四海,董卓因之肆其猖勃,曹操父子凶逆相尋。故孝愍委棄萬國,昭烈播越岷蜀,冀否終有泰,旋軫舊京。(中略)」さて、劉淵が即位する際の令で「(漢末の大乱や曹操父子の簒奪により)『孝愍』帝が国を失い、『昭烈』帝が蜀に割拠した」などとあります。この昭烈帝は蜀漢の劉備のことですが、孝愍帝とは誰でしょ...
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前趙と懐帝

『晋書』巻一百一、劉元海載記永興元年,元海乃為壇于南郊,僭即漢王位,(中略)乃赦其境內,年號元熙,追尊劉禪為孝懷皇帝,立漢高祖以下三祖五宗神主而祭之。立其妻呼延氏為王后。置百官,以劉宣為丞相,崔游為御史大夫,劉宏為太尉,其餘拜授各有差。304年、劉淵は漢王に即位した際に漢王朝の継承を名分に挙げていますが、その対象は前漢・後漢だけでなく、三国時代の蜀漢も含まれていました。その一環として、皇帝としての...
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劉淵と宜陽諸胡2

別の案としては、「河西の宜陽城」があります。『晋書』巻九十七、四夷伝、北狄匈奴武帝踐阼後,塞外匈奴大水,塞泥、黑難等二萬餘落歸化,帝復納之,使居河西故宜陽城下。後復與晉人雜居,由是平陽、西河、太原、新興、上黨、樂平諸郡靡不有焉。西晋・武帝の時、塞外匈奴(北匈奴系?)の部落約2万が帰順し、河西の(故の)宜陽城に居住したとあります。この宜陽城はよくわからなかったので、「河西」から考えます。河西は、一般...
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劉淵と宜陽諸胡

劉淵は五部匈奴のもとに帰る前に、劉宣らに五部匈奴の招集を命じています。『晋書』巻一百一、劉元海載記惠帝失馭,寇盜蜂起,元海從祖故北部都尉、左賢王劉宣等竊議(中略)於是密共推元海為大單于。乃使其黨呼延攸詣鄴,以謀告之。元海請歸會葬,穎弗許。乃令攸先歸,告宣等招集五部,引會宜陽諸胡,聲言應穎,實背之也。同時に宜陽の諸胡を引き入れています。この宜陽諸胡とは何者でしょうか?まず、宜陽県が弘農郡にあります。...
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五部匈奴対鮮卑

劉淵の人生の流れは、并州の匈奴として育つ→西晋で暮らす→帰って部族を率いる→西晋の内戦に従軍→独立&建国となります。この「内戦に従軍」から「独立」にかけて劉淵の人生は大きな転機を迎えますが、この時に西晋に並ぶ因縁の宿敵にも遭遇します。『晋書』巻一百一、劉元海載記并州剌史東嬴公騰、安北將軍王浚,起兵伐穎,元海說穎曰:「今二鎮跋扈,眾餘十萬,恐非宿衞及近都士庶所能禦之,請為殿下還說五部,以赴國難。」穎曰:...
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朔方郡の復活

215年に廃止された郡の1つが「朔方郡」です。『三国志』巻三、明帝紀(青龍)三年春正月戊子,以大將軍司馬宣王為太尉。己亥,復置朔方郡。これは20年後の235年に再び置かれています。朔方郡は後漢の末期に(曹操によって)廃止され、魏の明帝の時に復活したことになりますが、魏の時や復活したことについては晋書の地理志や通典などには見られません。そのため、詳細がわかりません。なぜ、よりによって廃止4郡の中で一...
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上郡の復活

前後の時代で(そこそこ)重要でありながら、三国志に登場しない郡の一つに「上郡」があります。『上郡』http://d.hatena.ne.jp/T_S/20131227/1388075047私は他の時代に手を出してから初めて知りました。さて、上郡は後漢末期に廃止されたようですが、西晋でも基本的に地名として散見するぐらいで(魏書では晋でも廃していたとあります)、正規の郡として再び現れるのは北魏からです。『晋書』巻一百一、劉元海載記劉曜又進軍,屯...
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劉淵と王渾

劉淵載記の冒頭部分を読むと、太原王氏が度々現れます。『晋書』巻一百一、劉元海載記(前略)七歲遭母憂,擗踴號叫,哀感旁鄰,宗族部落咸共歎賞。時司空太原王昶等聞而嘉之,並遣弔賻。(中略)太原王渾虛襟友之,命子濟拜焉。(中略)泰始之後,渾又屢言之於武帝。帝召與語,大悅之,謂王濟曰:「劉元海容儀機鑒,雖由余、日磾無以加也。」濟對曰:「元海儀容機鑒,實如聖旨,然其文武才榦賢於二子遠矣。陛下若任之以東南之事,...
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五部匈奴と并州と戸数

『晋書』巻五十六、江統伝、徙戎論今五部之眾,戶至數萬,人口之盛,過於西戎。徙戎論に五部匈奴の戸数が数万に達しているとあります。『晋書』巻十四、地理志上并州統郡國六,縣四十五,戶五萬九千三百。晋書に載っている(ある時期の)并州の戸数は約6万であり、それと比較すると并州の住民の内でけっこう五部匈奴は高い割合だったということになります。もう少し詳細な情報を見てみます。『晋書』巻九十七、四夷伝、北狄匈奴其...
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