河南尹の杜預

西晋重臣編。前回の10名関連。晋書にある杜預の西晋最初の役職は、河南尹です。『晋書』巻三十四、杜預伝泰始中,守河南尹。(中略)司隸校尉石鑒以宿憾奏預,免職。時虜寇隴右,以預為安西軍司,(後略)後に上官相当の石鑒の上奏により罷免され、また270年に石鑒が安西将軍として秦州に派遣されるとその軍司となっていることから、270年には免官されていたはずですね。『晋書』巻三十、刑法志文帝為晉王,患前代律令本注...
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広陵王司馬遹

司馬遹は武帝の嫡孫(そして次代の皇太子)でしたが、それ故に何らかの官爵を得るということはありませんでした。『晋書』巻三、武帝紀、太康十年(十一月)甲申,以汝南王亮為大司馬、大都督、假黃鉞。改封南陽王柬為秦王,始平王瑋為楚王,濮陽王允為淮南王,並假節之國,各統方州軍事。立皇子乂為長沙王,潁為成都王,晏為吳王,熾為豫章王,演為代王,皇孫遹為廣陵王。しかし武帝が死ぬ前年、司馬遹は広陵王に封じられます。同...
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西晋3代目候補、司馬遹の誕生

恵帝の嫡男にして皇太子だった司馬遹。彼は初代・武帝の嫡孫にあたり、本来ならば西晋の3代目となるはずでした。残念ながら、300年に23歳で殺害されたため、皇太子のままで終わりましたが。没年・享年から逆算して生年は278年。武帝と42歳差、恵帝と19歳差。278年といえば、涼州の反乱が激化したり(刺史楊欣が戦死、翌年陥落)、重鎮の羊祜などが死んだり(他に羊皇太后や重臣筆頭の何曾)、凶事が多めの年です。...
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宋元勲の終焉

皇帝の廟庭に配饗されることは、その皇帝とセットで祀られるようなことです。初代皇帝の廟庭に配饗された場合、彼らは建国の殊勲者、元勲とみなしても良いかと思います。432年2月、高祖廟に(長沙王)劉道憐・(臨川王)劉道規・劉穆之・王弘・檀道済・王鎮悪の6名が配されることになります。劉道憐と劉道規は高祖・武帝の弟で故人。劉穆之と王鎮悪は建国前に活躍し、建国前に亡くなった人物でした。そして残る王弘と檀道済は...
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宋元勲と文帝

424年8月、宜都王劉義隆が元勲達に擁立されて即位します。これが文帝です。また、荊州に居た文帝の後任として謝晦が荊州の都督に就任しました。直後の人事により、司空・録尚書事・揚州刺史の徐羨之が司徒に、衛将軍・江州刺史の王弘が司空に、中書監・護軍将軍の傅亮が左光禄大夫・開府儀同三司に、荊州刺史の謝晦が衛将軍に、鎮北将軍・南兗州刺史の檀道済が征北将軍に、昇格します。また、5人共、郡公の爵位が出されますが...
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宋元勲と少帝

420年6月に建国された宋ですが、初代武帝(劉裕)は422年に入ると危篤となり、同年5月に崩御してしまいます。在位3年。次いで皇太子の劉義符(2代目・少帝)が即位しますが、17歳の若さの上に際立った政治センスもあったりせず、有力な近親も居ませんでした(同月に叔父の長沙王劉道憐が死んでおり、生母方は出身地不明な程度)。権力の継承に不安がある状態ですね。さて、武帝が宋を建国した時の重要な州は、揚州:劉...
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宋元勲と宋建国

416年8月、後秦への北伐が始まり、劉穆之を留守・後方のトップとし(徐羨之が補佐)、遠征軍は劉裕自らが率いて謝晦を腹心、檀道済らを先鋒とする体制でした(王弘は上位属官として、傅亮は文書担当として従軍)。檀道済ら先鋒は快進撃を続け、10月には河南一帯を平定、中原の旧都・洛陽も奪還します。ここで劉裕は王弘を朝廷に派遣し、(彼の働きかけにより)東晋は劉裕に相国・宋公・九錫を授けることになります(この時は...
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宋元勲と劉裕政権2

東晋の劉裕政権時には(前回挙げた)劉毅・何無忌・劉道規・孟昶・諸葛長民・琅邪王司馬徳文・謝混以外にも重要人物がいます。例えば、雍州刺史の魯宗之(荊州の北、東晋北西の長官)広州刺史の盧循(荊州の南、東晋南西の長官)劉裕政権にあまり従属していない2鎮。他には義旗の際に刺史に起用された司馬休之と劉敬宣もいますね。この中で一番危険だったのが盧循。本来は広州を占拠した「孫恩の乱」の残党でしたが、東晋再興の際...
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檀憑之

『宋書』巻一、武帝紀上以孟昶為長史,總攝後事;檀憑之為司馬。百姓願從者千餘人。なぜか劉裕の司馬となったことが書かれている檀憑之。『晋書』巻八十五、檀憑之伝及桓玄將皇甫敷之至羅落橋也,憑之與裕各領一隊而戰,軍敗,為敷軍所害。羅落橋の戦いでは盟主の劉裕と並んで一隊を率いて戦っており、義旗の中では孟昶と並んで少し異なる扱いを受けている気がします。結局、ここで戦死したため、詳細は不明ですが。『晋書』巻八十...
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孟昶

劉裕らの義旗の主要メンバーの一人の孟昶。なぜか列伝が無いので、経歴をまとめます。『宋書』巻一、武帝紀上(前略)於是與弟道規、沛郡劉毅、平昌孟昶、任城魏詠之、高平檀憑之、琅邪諸葛長民、太原王元德、隴西辛扈興、東莞童厚之,並同義謀。時桓脩弟弘為征虜將軍、青州刺史,鎮廣陵。道規為弘中兵參軍,昶為州主簿。乃令毅潛往就昶,聚徒於江北,謀起兵殺弘。403年、桓玄が東晋から簒奪すると、「(青州)平昌」出身の孟昶...
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