謝晦の兄、謝絢

『宋書』巻四十四、謝晦伝謝晦字宣明,陳郡陽夏人也。(中略)父重,會稽王道子驃騎長史。兄絢,高祖鎮軍長史,蚤卒。謝晦の兄に謝絢がいます。『宋書』巻五十二、袁湛伝初,陳郡謝重,王胡之外孫,於諸舅禮敬多闕。重子絢,湛之甥也,嘗於公座陵湛,湛正色謂曰:「汝便是兩世無渭陽之情。」絢有愧色。謝絢は袁湛の甥であり、母が「陳郡袁氏」だったようです。ここのエピソードは、ある時、謝絢が袁湛を侮辱する行為を働くと、厳し...
タグ: 東晋 陳郡謝氏

三文生年表2

短評で言及した人の生年表。太字が絞り込める人物です。(自分用のメモであり、精度は保証しません)180年 司馬孚 鄭沖184年 王祥189年 鄭袤190年 魯芝 石苞 李憙 何曾201年 陳騫 霍弋205年 司馬望・山濤 荀顗206年 王濬 李胤 石鑒209年 魏舒 武陔 羅憲 劉毅 胡奮 劉豹217年 賈充 傅玄 盧欽 王沈 滕脩220年 衛瓘 劉寔 荀勗221年 羊祜 庾純222年 杜預 華廙 ...
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西晋重臣の短評3

「杜預」武帝の名臣。度支尚書として軍事内政で功があり、また羊祜の後任として荊州の都督となり伐呉を成功に導きました。『左伝』の学者としても著名。— 魏晋南北ブログ (@GiShinNanBoku) 2016年12月10日「任愷」武帝の侍中の時に有力な側近となり、元勲との仲介役など。賈充との政争に敗れたことから一介の大臣に転落。— 魏晋南北ブログ (@GiShinNanBoku) 2016年12月10日「庾純」学者庾峻の弟。西晋初頭の中書令で、...
タグ:西晋

宋の元勲の短評

「劉穆之」劉裕(宋の武帝)の腹心・名軍師。寒門出身。挙兵直後から様々な進言や処理決裁を行って劉裕の躍進を支え、東晋末の北伐中には本国を託されながらも死去。宋では元勲筆頭待遇。— 魏晋南北ブログ (@GiShinNanBoku) 2016年11月27日「徐羨之」宋の元勲、3代に渡る宰相。寒門出身。劉穆之の後任として東晋の朝廷をまとめ、宋では宰相となりますが、少帝兄弟を廃殺したことから、後に文帝に断罪されました。— 魏...
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名将、檀道済2

まず、私は檀道済が宋の元勲となったのは、劉裕配下一番の名将(※軍略に優れた者を指す)だったことが主な原因ではないと考えています。(既に何か定説があるかもしれませんが)そのため、私は檀道済が随一の名将でなくても良いと考えています。だからといって、「名将ではない」とは思っていません。(もっとも、私の名将の定義は結構ゆるいのですが)どの点が名将なのか。檀道済の戦歴を見ると、率いた軍が対象と交戦せずに終わ...
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名将、檀道済

近年の日本において、南朝の名将として挙がることが多い者といえば、宋の檀道済と梁の陳慶之です。陳慶之は北伐の華々しい活躍からその名将ぶりがうかがえますが、檀道済の場合はどうでしょうか。まず列伝を見ると、最初の功は「京城制圧への参加」、軍功は「魯山の平定や桓振を生け捕り」でしょう。404年~405年。どちらも他に多数の参加者(それも複数の上位者)がおり、まだ中心人物とは言えないですね。(ちなみに他の列...
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檀道済と北燕

檀道済が死ぬ前年の435年、そして同年の436年にも関係する北魏も宋も関わる軍事行動は、実は1件あります。『資治通鑑』巻一百二十二、宋紀四、元嘉十二年春,正月,(中略)燕王數為魏所攻,遣使詣建康稱藩奉貢。癸酉,詔封為燕王;江南謂之黃龍國。435年、北燕が宋に称藩。この頃、北燕は何度も北魏の攻撃を受けており、それを打破すべく遣使したのでしょう。『資治通鑑』巻一百二十二、宋紀四、元嘉十二年夏,四月,(...
タグ: 北魏 北燕

檀道済の死3

おそらく一般に、『宋書』巻四十三、檀道済伝十二年,上疾篤,會索虜為邊寇,召道濟入朝。既至,上間。十三年春,將遣道濟還鎮,已下船矣,會上疾動,召入祖道,收付廷尉。檀道済の誅殺前年の入朝は北魏の侵攻がきっかけとされています。『南史』巻十五、檀道済伝道濟見收,憤怒氣盛,目光如炬,俄爾間引飲一斛。乃脫幘投地,曰:「乃壞汝萬里長城。」魏人聞之,皆曰「道濟已死,吳子輩不足復憚」。自是頻歲南伐,有飲馬長江之志。...
タグ: 北魏

名門名士、王弘

王弘も名門名士らしい逸話があります。『宋書』巻四十二、王弘伝弘少好學,以清恬知名,與尚書僕射謝混善。弱冠,為會稽王司馬道子驃騎參軍主簿。(中略)道子欲以為黃門侍郎,珣以其年少固辭。あの謝混と親しく、弱冠で宰相の会稽王司馬道子の主簿となり、さらに司馬道子が黄門侍郎に進ませたがっていました。父の王珣が年少として辞退したようにこれは異例の処置と考えられ、名門の中でも評判が高そうなエピソードです。『宋書』...
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名宰相、王弘

王弘も謝晦と同様に実務に優れた名門重臣でした。『宋書』巻四十二、王弘伝弱冠,為會稽王司馬道子驃騎參軍主簿。時農務頓息,末役繁興,弘以為宜建屯田,陳之曰:(略)最初の事績は農務に関する上奏であり、色々と問題を指摘したり、屯田などを提案したりしています。『宋書』巻四十二、王弘伝十四年,遷監江州豫州之西陽新蔡二郡諸軍事、撫軍將軍、江州刺史。至州,省賦簡役,百姓安之。後に地方長官となった時も賦役を減らす善...
タグ: 琅邪王氏

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