侯者十九人

『晋書』巻一、宣帝紀策命帝為相國,封安平郡公,孫及兄子各一人為列侯,前後食邑五萬戶,侯者十九人。固讓相國、郡公不受。この「侯者十九人」の該当者が気になります。まず251年に追加されたのは孫と兄子の合計2人。孫は長楽亭侯司馬攸、兄子は永安亭侯司馬望でしょう。他に封爵時期が分かるのは、250年の司馬肜と司馬倫、249年の司馬師。いずれも司馬懿の子。これで5人。『晋書』巻一、宣帝紀(正始二年)秋七月,增...
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魏の西晋宗室

また西晋宗室編です。そろそろ「八王の乱」紹介・考察への布石を打っておきたいところ。西晋を建国した司馬氏一族が台頭した時期を考えてみると、始祖である司馬懿は魏建国以前から兄と弟と共に出仕しており、特に自身は魏の初代文帝からの信任厚くけっこう良い立場にありました。例えば、司馬懿は無爵位から文帝の魏王即位で「亭侯」、皇帝即位から間もなく「郷侯」となりますが、これは曹休・夏侯尚・王朗・桓階・陳羣とほぼ同じ...
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秦郡2

『宋書』巻三十五、州郡志一、南兗州秦郡太守,晉武帝分扶風為秦國,中原亂,其民南流,寄居堂邑。堂邑本為縣,前漢屬臨淮,後漢屬廣陵,晉又屬臨淮,晉惠帝永興元年,分臨淮淮陵立堂邑郡,安帝改堂邑為秦郡。堂邑の秦郡は、「扶風が改称して秦国となったもの」が由来とあります。しかし他の雍州系の僑置郡が襄陽一帯にあるにも関わらず、なぜ離れたこちらにあるのでしょうか。そもそも僑置された「扶風郡」も襄陽付近にあります。...
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北陳留国

さて、向靖の役職を見てみると、『宋書』巻四十五、向靖伝義熙三年,遷建武將軍、秦郡太守、北陳留內史,戍堂邑。秦郡太守と北陳留内史を兼任しているように見えます。ほぼ同じ場所の郡や州(特に僑置したもの)の長官は兼任されることはよくありますが、これもそのケースなのでしょうか。あるいは歴任した役職が並んでいるだけなのか。『宋書』巻四十七、檀祗伝除龍驤將軍、秦郡太守、北陳留內史,『宋書』巻四十五、檀韶伝遷龍驤...
タグ:東晋 地理

到彦之まとめ(前編)

列伝が消えてしまった到彦之に関連する記述をある程度まとめてみます。今回は建国まで。『南史』巻二十五、到彦之伝到彥之字道豫,彭城武原人,楚大夫屈到後也。宋武帝討孫恩,以鄉里樂從,每有戰功。到彦之は字を道豫といい、彭城・武原の人で、楚の屈到の末裔です。劉裕が孫恩を討った時に従軍し、毎回戦功がありました。(これは399年から401年のいずれかの出来事でしょう。)到彦之の出身背景は不明ですが、『南史』巻二...
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宋書巻四十六列伝第六

趙倫之・到彦之・王懿・張邵の列伝である『宋書』巻四十六・列伝第六。現存のこの列伝には重大な問題点があります。北宋の嘉祐年間に宋書を校勘したという鄭穆さんが言うには、あるはずの到彦之の伝だけが欠落しており、沈約の『宋書』の記述形式では皇帝を廟号(高祖や太祖)として書いているにもかかわらず、ここでは『南史』の形式である帝号(武帝や文帝)で書かれているなどから、これは沈約の書いた文書ではないそうです。加...
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宋書紹介:列伝第六

宋書の列伝第六は趙倫之・到彦之・王懿(王仲徳)・張邵(と一族)の列伝です。(『南史』では、趙倫之が列伝第八、王懿・到彦之が列伝第十五、張邵が列伝第二十二。)(特にこの巻は欠落を補う過程で原書からの乖離が生じています)趙倫之伝:趙倫之は字を幼成といい、下邳・僮の人で、孝穆皇后(趙安宗、列伝第一)の弟でした。劉裕(武帝)が挙兵すると(従って)軍功により閬中県五等侯に封じられ、雍州刺史となります。劉裕の...
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宋書紹介:列伝第五(後半)

(長くなったので分割。劉懐慎・劉粋の分)劉懐慎伝:劉懐慎は彭城の人で、劉懐粛(列伝第七)の弟でした。始めに劉裕(武帝)の参鎮軍将軍事、振威将軍・彭城内史となり、(409年の)鮮卑(南燕)征伐では毎戦先頭に立ち、(410年には)劉裕に従って盧循を石頭で防ぎ、輔国将軍を加えられました。義熙八年(412年)に監北徐州諸軍事として彭城に駐屯し、徐州刺史も加えられ、義熙九年に亡命者の王霊秀を討ち平らげました...
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宋書紹介:列伝第五(前半)

宋書の列伝第五は王鎮悪・檀韶・向靖・劉懐慎(と一族)・劉粋(と一族)の列伝です。(『南史』では、檀韶が列伝第五、王鎮悪が列伝第六、劉懐慎・劉粋・向靖が列伝第七。)(長くなったので分割。王鎮悪・檀韶・向靖の分)王鎮悪伝:王鎮悪は北海・劇の人で、祖父の王猛は関中で即位した(前秦の)苻堅に仕えて北方で重んじられ、父の王休は(前秦の)河東太守でした。13歳の時に前秦が壊滅して関中が乱れると(385年)、崤...
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秦郡

中国史において「秦」といえば、様々な著名な王朝があり、その王朝が本拠とした地域(いわゆる関中一帯)やそれに関する者(秦王とか)も思い浮かぶ人が多いでしょう。そのため、秦郡と聞くとこのあたり(中原の西北部)がまず思い浮かびそうです。このような「秦」の地方をイメージしていると、六朝の江淮に関する記述で「秦郡」の名称が見られた時に変な気分になります。『宋書』巻四十五、向靖伝義熙三年,遷建武將軍、秦郡太守...
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