魏末宗室地方官

魏晋革命があった頃の地方官と思われるのが、監豫州諸軍事(→関中)司馬亮、監兗州諸軍事・兗州刺史司馬伷、都督淮北諸軍事司馬駿、督鄴城守諸軍事?司馬遂、野王太守司馬輔、東莞太守司馬晃、扶風太守司馬泰、原武太守司馬洪など。司馬遂以上は伯爵であり、「都督」の司馬駿に至っては県侯でした。上位側の宗室。彼らの任地は豫州が2名(後に関中と豫州)、兗州が1名、旧冀州が1名。候補の太守4名は、司州が2名、徐州が1名...
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魏の西晋宗室5

「西晋宗室編」続き。司馬昭政権は何度か転機がありましたが、宗室の躍進とはどれほど連動していたでしょうか。まず司馬昭の政権継承とそれに続く防衛戦(255年)。政権継承は鍾会などの謀主の機転で無事成功し、東部側は諸葛誕のおかげで対処できましたが(結果として諸葛誕は連続して昇進)、西部側は姜維に大敗、翌年に鄧艾が大勝して片がつきました(この過程で司馬望が赴任)。時に子の司馬炎は20歳、まだ奉車都尉あたり...
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宋書列伝第五と沔水

『宋書』巻四十五、王鎮悪伝(前略)鎮惡受命,便晝夜兼行,於鵲洲、尋陽、河口、巴陵守風凡四日,十月二十二日,至豫章口,去江陵城二十里。ここの「河口」は尋陽と巴陵の間の「沔口」のはず。『宋書』巻四十五、劉粋伝劉粹字道沖,沛郡蕭人也。祖恢,持節、監河中軍事,征虜將軍。この「監河中軍事」は歴代の官から「監沔中軍事」の可能性が高いです。『宋書』巻四十五、劉粋伝俄而高祖討司馬休之,起粹為寧朔將軍、竟陵太守,統...
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竟陵太守の劉粋

「宋の佐命功臣4」で「劉粋も恐らく王懿と同じルートで従軍」と書きましたが、元にした手元の資料・根拠が判然とせず、違うような気がしてきました。『宋書』巻四十五、劉粋伝俄而高祖討司馬休之,起粹為寧朔將軍、竟陵太守,統水軍入河。明年,進號輔國將軍,遷相國右司馬、侍中、中軍司馬、冠軍將軍,遷左衞將軍。おそらく「統水軍入河」の記述が根拠です。「入河」は王仲徳に関する記述でも使われた表現です。また、劉粋は後に...
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沈林子

沈林子は数歳で京口に居た時に(一流名士の)王恭に評価され、13歳で一族が災禍を受けると復仇を誓い、孫恩討伐に来た劉裕に志をうったえると京口に住居を与えられ、(404年の)劉裕の京城や首都の制圧に従い、時に18歳、身長七尺五寸、仇を一族の男女も長幼も問わずに皆殺して仇討ち達成、出仕を勧められても辞退していましたが劉裕が揚州刺史(408年~)となると断りきれずにその州従事となり、21歳の時に資中県五等...
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張邵

さあ、ここから怪しくなってきました。県伯なのにも関わらず佐命功臣に加えられた張邵です。張邵は自身だけでなく兄、甥、息子の合計4つもの列伝を(別の巻で)持っており、同条件(三親等内)では王弘の5つ(本人、甥1、弟、甥2、息子)と宗室(文帝中心が最大)だけが優っており、沈約の『宋書』ではかなり扱いが重いですね。彼は呉郡の名門出身であり、隣の呉興出身の沈約が身内贔屓のようなことをしているのではないかと疑...

王懿/王仲徳

王懿/王仲徳は太原郡「祁」県の王氏です。魏晋名門の太原郡「晋陽」県の王氏とは近い別の一族。祖父が後趙、父が前秦に仕えた一族であり、本来ならばそのまま華北勢力に仕えたはずですが、慕容垂と戦ったりした末に東晋へ亡命することになりました。(ちなみに「祁県の王氏」は北朝でも著名人を複数輩出しており、華北においては本家の「晋陽の王氏」よりも勢いがあったかもしれませんね)晋に亡命した後、王朝始祖(司馬懿)の避...
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到彦之

『宋書』の記録が残っていない悲劇の武将、到彦之。おかげで生年とか色々とわからないことが増えてしまいました。文帝廟に祀られるほどの重鎮になんという仕打ち。彼は「孫恩の乱」討伐から劉裕と知己であり、挙兵にも参加(戦闘は不参加)した古参の一人です。ちなみに劉裕を含む京口居住者が多めな中では珍しい広陵居住者。また、一時糞便汲み取りで生計を立てていたことから子孫がそしられていますが、これは庶民出身者も居る劉...
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趙倫之

趙倫之は劉裕の外戚の一人です。劉裕の生母の弟、つまり母方の叔父ですね、「劉裕の外戚」は生母一族の「下邳趙氏」、継母一族の「蘭陵蕭氏」、正妻一族の「東莞臧氏」の三家。いずれも『南史』では巻十八・列伝第八にまとめられています。この外戚の中で挙兵から従っていた記録があるのが、「東莞臧氏」。特に臧熹は劉裕の参軍を歴任し、挙兵の功で五等侯となり、409年から将軍・太守となりました。412年に寧朔将軍。その兄...
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劉粋の祖父

『宋書』巻四十五、劉粋伝劉粹字道沖,沛郡蕭人也。祖恢,持節、監河中軍事,征虜將軍。粹家在京口。宋初の劉粋の祖父は劉恢といい、征虜将軍でした。さて、劉恢といえば、東晋名士の劉惔(字は真長)の「別表記」があります。史書によって「惔」だったり「恢」だったり。(この文字の混同は他の人物でもあります)もし祖父と同一人物ならばけっこう良い出自となります。しかし劉惔の丹陽尹を最終官とされ、沛国・相の人です。劉粋...
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