衛瓘の弟、衛寔

衛瓘には弟がいました。『晋書』巻三十六、衛瓘伝事平,朝議封瓘。瓘以克蜀之功,羣帥之力,二將跋扈,自取滅亡,雖運智謀,而無搴旗之效,固讓不受。除使持節、都督關中諸軍事、鎮西將軍,尋遷都督徐州諸軍事、鎮東將軍,增封菑陽侯,以餘爵封弟實開陽亭侯。それが開陽亭侯となった「衛実」です。264年~265年に蜀平定の功に関して衛瓘が爵位を進められた際に、追加で爵位を貰った人ですね。『晋書』巻三十六、衛瓘伝離間二...
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太僕の何遵

268年には散騎常侍だった何遵。その後、侍中となり「累転」して大鴻臚となります。遂に九卿。276年頃には大鴻臚だったと思われるので、270年代前半が侍中でしょうか。その後には免官(弾劾によるもの)や父の死(278年)があり、280年代初頭に魏郡太守として復帰し、さらに太僕卿となったもののまた免官となってしまいます(こちらも自業自得でしょう)。最後は無官のまま死去。復帰の時期は、大赦があり、父の喪も...
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散騎常侍の何遵

何遵は字を思祖といい、何曾の子で何劭(字は敬祖)の庶兄でした。(豫州)陳郡・陽夏の名門出身であり、才能のあった彼は若くして(20代?で)散騎侍郎となり、その後に黄門侍郎、散騎常侍となりました。『通典』巻九十、礼五十、斉縗三月晉武帝泰始中,尚書令史恂等是故少府鮑融故吏,假詣喪所行服,散騎常侍何遵駁以為:「禮云『違大夫,之諸侯,不反服』,則之天子亦不反服矣。恂等已登天朝,反服舊主,典禮相違。」(中略)...
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護軍の羊琇

『晋書』巻九十三外戚伝、羊琇帝踐阼,累遷中護軍,加散騎常侍。琇在職十三年,典禁兵,豫機密,寵遇甚厚。(中略)其後司隸校尉劉毅劾之,應至重刑,武帝以舊恩,直免官而已。尋以侯白衣領護軍。頃之,復職。羊琇は武帝に信任され、西晋で中護軍(・散騎常侍)となりました。これに関して「在職十三年」とあり、13年間も中護軍(途中から護軍将軍?)だったようです。ただ、一度は司隷校尉の劉毅によって免官とされ、「侯白衣」...
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張大豫と魏安

張大豫がなぜ魏安で挙兵したのかを考えてみたところ、以下の情報が鍵となりそうです。『資治通鑑』巻一百四、晋紀二十六、太元元年初,張天錫之殺張邕也,劉肅及安定梁景皆有功,二人由是有寵,賜姓張氏,以為己子,使預政事。天錫荒于酒色,不親庶務,黜世子大懷而立嬖妾之子大豫,以焦氏為左夫人,人情憤怨;從弟從事中郎憲輿櫬切諫,不聽。前涼で張天錫が張大豫を世子に立てた時、焦氏を左夫人としています。これは焦氏が張大豫...
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督洪池已南諸軍事

「敦煌の宋皓」に登場した「督洪池已南諸軍事」。「已南」は以南、つまり担当者は洪池よりも南を統制していたはずです。ところが同時に就いていた官は「酒泉太守」です。「洪池」は武威郡のすぐ南の地名ですが、酒泉郡は武威郡から数郡挟んで北西にある地域です。間がかなり空いており、チグハグな組み合わせですね。解決策として、「督洪池已南諸軍事」か「酒泉太守」が間違い、あるいは別に「洪池」があった、「酒泉太守」でも別...
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王穆の乱2

『資治通鑑』巻一百七、晋紀二十九、太元十二年呂光將彭晃、徐炅攻張大豫于臨洮,破之。大豫奔廣武,王穆奔建康。八月,廣武人執大豫送姑臧,斬之,穆襲據酒泉,自稱大將軍、涼州牧。『晋書』巻九十四、隠逸伝、郭瑀及苻氏之末,略陽王穆起兵酒泉,以應張大豫,遣使招瑀。瑀歎曰:「臨河救溺,不卜命之短長;脈病三年,不豫絕其餐饋;魯連在趙,義不結舌,況人將左袵而不救之!」乃與敦煌索嘏起兵五千,運粟三萬石,東應王穆。穆以...
タグ:南涼

王穆の乱1

王穆は張大豫を前秦から救い出し、河西の挙兵後も支えた人物です。『資治通鑑』巻一百七、晋紀二十九、太元十二年呂光將彭晃、徐炅攻張大豫于臨洮,破之。大豫奔廣武,王穆奔建康。八月,廣武人執大豫送姑臧,斬之,穆襲據酒泉,自稱大將軍、涼州牧。彼は張大豫が敗れると建康に逃れ、(387年8月に)張大豫が処刑されると酒泉を制圧して大将軍・涼州牧を名乗りました。資治通鑑では同年末に「涼州の大飢饉」の記述があり、続け...
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張大豫の乱3

嶺西で呼応者を得た張大豫はさらに姑臧に迫り、遂に呂光と衝突します。『資治通鑑』巻一百六、晋紀二十八、太元十一年(四月)張大豫自楊塢進屯姑臧城西,王穆及禿髮思復鞬子奚于帥眾三萬屯于城南;呂光出擊,大破之,斬奚于等二萬餘級。資治通鑑によると4月。2月挙兵としていることから、呼応者を得た直後ぐらいでしょうか。衝突時に、王穆と禿髪思復鞬の息子が3万を率いて姑臧城の南、張大豫が姑臧城の西に居ました。張大豫も...
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張大豫の乱2

資治通鑑によると386年2月に挙兵した張大豫。彼は杜進を破って姑臧に迫ると、早速呂光との決戦を考えていました。『資治通鑑』巻一百六、晋紀二十八、太元十一年(二月)大豫進逼姑臧。王穆諫曰:「光糧豐城固,甲兵精銳,逼之非利;不如席卷嶺西,礪兵積粟,然後東向與之爭,不及期年,光可取也。」大豫不從,自號撫軍將軍、涼州牧,改元鳳凰,以王穆為長史,傳檄郡縣,使穆說諭嶺西諸郡,建康太守李隰、祁連都尉嚴純皆起兵應...
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