西晋の平州設置の謎

『晋書』巻三、武帝紀、泰始十年二月,分幽州五郡置平州。泰始十年(274年)2月、幽州から5郡を分けて平州が置かれました。『晋書』巻三十六、衛瓘伝除征北大將軍、都督幽州諸軍事、幽州刺史、護烏桓校尉。至鎮,表立平州,後兼督之。于時幽幷東有務桓,西有力微,並為邊害。瓘離間二虜,遂致嫌隙,於是務桓降而力微以憂死。これは都督幽州となった衛瓘の上表によるもののようです。『晋書』巻三、武帝紀、泰始七年八月丙戌,...
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後涼の沮渠兄弟と西秦征伐

『晋書』巻一百二十九、沮渠蒙遜載記會伯父羅仇、麴粥從呂光征河南,光前軍大敗,麴粥言于兄羅仇曰:「主上荒耄驕縱,諸子朋黨相傾,讒人側目。今軍敗將死,正是智勇見猜之日,可不懼乎!吾兄弟素為所憚,與其經死溝瀆,豈若勒眾向西平,出苕藋,奮臂大呼,涼州不足定也。」羅仇曰:「理如汝言,但吾家累世忠孝,為一方所歸,寧人負我,無我負人。」俄而皆為光所殺。「呂光の征河南」、つまり後涼の西秦征伐に従軍していた沮渠羅仇...
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南涼建国と西秦

資治通鑑では397年1月に「西秦の後涼撃退」と「南涼建国」が発生しています。晋書の帝紀では、南涼建国が2月、西秦の後涼撃退が3月のようです。おおよそ春頃にこの2つの出来事があったのでしょう。南涼は建国(禿髪烏孤の即位)後、広武→金城と進出し(南下)、さらに後には街亭で後涼軍に勝利しています(北上)。これらは後涼の国土の東南部にあり、結果的に首都圏と西南部を遮断し、後涼に首都圏より南を失わせることに...
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街亭の戦い(南涼)

晋書や資治通鑑では禿髪烏孤の即位の次の記述に、金城を攻め破ったことと街亭で竇苟らを大破したことが載っています。『晋書』巻一百二十六、禿髪烏孤載記曜兵廣武,攻克金城。光遣將軍竇苟來伐,戰于街亭,大敗之。『資治通鑑』巻一百九、晋紀三十一、隆安元年治兵廣武,攻涼金城,克之。涼王光遣將軍竇苟伐之,戰于街亭,涼兵大敗。これを見た限り、「本拠の廉川で即位」→「広武に軍を展開」→「後涼の金城を攻撃」→「街亭で後涼...
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竇苟の連戦

『晋書』巻一百二十二、呂光載記光於是次于長最,使呂纂率楊軌、竇苟等步騎三萬攻金城。乾歸率眾二萬救之。(中略)呂纂克金城,(中略)乾歸(中略)乃縱反間,稱乾歸眾潰,東奔成紀。呂延信之,引師輕進。(中略)與乾歸相遇,戰敗,死之。耿稚及將軍姜顯收集散卒,屯于枹罕。光還于姑臧。後涼の西秦征伐時の主力は金城を攻略した3万の軍勢でしょう。総大将呂光直属から出された軍であり、大将は庶長子の呂纂です。そこには楊軌...
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南涼建国考

『晋書』巻一百二十六、禿髪烏孤載記隆安元年,自稱大都督、大將軍、大單于、西平王,赦其境內,年號太初。曜兵廣武,攻克金城。光遣將軍竇苟來伐,戰于街亭,大敗之。397年、禿髪烏孤は大都督・大将軍・大単于・西平王を名乗り、「太初」の元号を置き、事実上「南涼を建国」しました。続けて禿髪烏孤は広武に軍を展開し、金城を攻め破ります。さらに後涼が竇苟に討伐させると、これを街亭で大破しました。『資治通鑑』巻一百九...
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河西の金昌

『晋書』巻一百二十六、禿髪烏孤載記曜兵廣武,攻克金城。光遣將軍竇苟來伐,戰于街亭,大敗之。『晋書』巻十、安帝紀、隆安元年二月,呂光將禿髮烏孤自稱大都督、大單于,國號南涼。擊光將竇苟于金昌,大破之。南涼が後涼の竇苟を撃破した場所は「街亭」と「金昌」の2通りの記録があります。果たして同じ地域を指しているのかどうか。河西の「金昌」が他に見られるのは、前秦の前涼征伐時です。『資治通鑑』巻一百四、晋紀二十六...
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河西の街亭

『晋書』巻一百二十六、禿髪烏孤載記隆安元年,自稱大都督、大將軍、大單于、西平王,赦其境內,年號太初。曜兵廣武,攻克金城。光遣將軍竇苟來伐,戰于街亭,大敗之。南涼は建国後すぐに後涼と衝突しますが、その場所は「街亭」でした。あの「馬謖が敗戦で有名な街亭」だったとすると、河西から西秦領を突っ切った先で戦っていたことになりますね。やはり別の場所でしょう。『水経注』巻二、河水湟水又東逕枝陽縣,逆水注之。水出...
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呂延の敗死

『晋書』巻一百二十二、呂光載記乾歸因大震,泣歎曰:「死中求生,正在今日也。」乃縱反間,稱乾歸眾潰,東奔成紀。呂延信之,引師輕進。延司馬耿稚諫曰:「乾歸雄勇過人,權略難測,破王廣,克楊定,皆羸師以誘之,雖蕞爾小國,亦不可輕也。困獸猶鬭,況乾歸而可望風自散乎!且告者視高而色動,必為姦計。而今宜部陣而前,步騎相接,徐待諸軍大集,可一舉滅之。」延不從,與乾歸相遇,戰敗,死之。耿稚及將軍姜顯收集散卒,屯于枹...
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後涼の金城制圧

『晋書』巻一百二十二、呂光載記光於是次于長最,使呂纂率楊軌、竇苟等步騎三萬攻金城。乾歸率眾二萬救之。光遣其將王寶、徐炅率騎五千邀之,乾歸懼而不進。光又遣其將梁恭、金石生以甲卒萬餘出陽武下峽,與秦州刺史沒奕于攻其東,光弟天水公延以枹罕之眾攻臨洮、武始、河關,皆克之。呂纂克金城,擒乾歸金城太守衞鞬,鞬瞋目謂光曰:「我寧守節斷頭,不為降虜也。」光義而免之。乾歸因大震,泣歎曰:「死中求生,正在今日也。」乃...
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