西晋の褚䂮

武帝紀に登場する人物の多くは、特筆すべき重臣・高官です。元勲やそれに続く重鎮、当ブログで取り上げた人達ですね。ただ、まだ取り上げていない人物もいます。『晋書』巻三、武帝紀、太康六年六年春正月甲申朔,以比歲不登,免租貸宿負。戊辰,以征南大將軍王渾為尚書左僕射,尚書褚䂮都督揚州諸軍事,楊濟都督荊州諸軍事。特に重要なのが褚䂮ですね。285年に王渾の後任として尚書から都督揚州となっています。彼がどのように...
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西晋の蘇愉2

西晋には涼州刺史となった蘇愉がいます。『晋書』巻一百二十六、禿髪烏孤載記泰始中,殺秦州刺史胡烈於萬斛堆,敗涼州刺史蘇愉于金山,盡有涼州之地,武帝為之旰食。『太平御覧』巻一百二十六、偏霸部十、禿髪烏孤崔鴻『十六国春秋・南涼録』晉太始中,殺秦州刺史胡列于萬斛堆,敗涼州刺史蘇愉于金山,又殺涼州刺史楊欣于丹嶺,盡有涼州之地。この蘇愉は「樹機能の乱」において金山で反乱勢力・部族に敗れた人物でした。「樹機能の...
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西晋の蘇愉

魏初の名臣蘇則の子に蘇愉という人物がいます。(扶風・武功の人)『三国志』巻十六、蘇則伝子怡嗣。怡薨,無子,弟愉襲封。愉,咸熙中為尚書。蘇愉は咸熙中に尚書となっています。この頃の尚書は九卿とほぼ同格であり、魏末の重臣と一人ということになりますね。『三国志』巻十六、蘇則伝、注愉字休豫,歷位太常光祿大夫,見晉百官名。山濤啟事稱愉忠篤有智意。臣松之案愉子紹,字世嗣,為吳王師。石崇妻,紹之兄女也。紹有詩在金...
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三国志の咸熙中人事

魏の咸熙年間は264年から265年が該当し、司馬昭が晋王となり、翌年に司馬炎が皇帝に即位するという魏の最後を示す時期でした。よって、「咸熙中」の出来事はこの魏が西晋に切り替わる直前にあったことになり、時期が時期なので関係者はそのまま西晋に突入したと考えられます。三国志の魏志(の本文)において「咸熙中」の人事は25の列伝に見られます。以下はそのまとめです。『三国志』巻十、荀彧伝子惲,嗣侯,(中略)惲...
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北涼対後涼、西郡戦2

資治通鑑では398年4月としている、沮渠蒙遜の西郡攻略。『宋書』巻九十八、氐胡伝、胡大且渠蒙遜安帝隆安三年春,(中略)四月,(中略)五月,(中略)推建康太守段業為主。業自號龍驤大將軍、涼州牧、建康公,以男成為輔國將軍。男成及晉昌太守王德圍張掖,剋之,業因據張掖。蒙遜率部曲投業,業以蒙遜為鎮西將軍、(中略)三年四月,業使蒙遜將萬人攻光弟子純於西郡,經旬不剋,乃引水灌城,窘急乞降,執之以歸。(中略)四...
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屠喬孫・項琳版『十六国春秋』について

屠喬孫・項琳による『十六国春秋』はよくまとまっており、これを読むだけで十六国それぞれを把握するには十分です。素晴らしいことに、最近は電子的に検索もできます。慎重、或いは合理的に学術書に依拠する人や、(私のような)自力で年表などを再構築する人にとっては別ですが。素人なりにケチを付けると、簡略化のある資治通鑑の丸写しや、まともな典拠があるかどうかわからない情報などが混ざっており、話の参考にするならとも...

郭黁の乱6

『資治通鑑』巻一百一十、晋紀三十二、隆安二年(六月)楊軌曰:「呂弘精兵一萬,若與光合,則姑臧益彊,不可取矣。」乃與禿髮利鹿孤共邀擊纂,纂與戰,大破之;軌奔王乞基。黁性褊急殘忍,不為士民所附,聞軌敗走,降西秦。西秦王乾歸以為建忠將軍、散騎常侍。「郭黁の乱」の平定は資治通鑑では、楊軌と禿髪利鹿孤が呂纂と戦って大破されると、楊軌は王乞基のもとに逃れ、その楊軌の敗走を聞いた郭黁が西秦に降る、という流れにな...
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北涼対後涼、西郡戦

沮渠蒙遜の西郡制圧は、宋書によると4月の出来事です(年は無視します)。これは資治通鑑も同様に4月であり、前後で沮渠蒙遜載記に無く宋書に有る情報も載せていることから、十六国春秋ではなく宋書由来の時系列かもしれせんね。『晋書』巻一百二十九、沮渠蒙遜載記業將使蒙遜攻西郡,眾咸疑之。蒙遜曰:「此郡據嶺之要,不可不取。」業曰:「卿言是也。」遂遣之。蒙遜引水灌城,城潰,執太守呂純以歸。『資治通鑑』巻一百一十、...
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北涼対後涼、張掖戦3

張掖攻撃を指揮した人物は「晋昌で挙兵し、酒泉太守を撃破、建康で段業を推戴した」沮渠男成と「晋昌太守として段業に帰順し、後に酒泉太守となった」王徳です。宋書では張掖包囲の段階では王徳はまだ晋昌太守であり、張掖に段業が入ってから酒泉太守となったとしています。『宋書』巻九十八、氐胡伝、胡大且渠蒙遜男成及晉昌太守王德圍張掖,剋之,業因據張掖。蒙遜率部曲投業,業以蒙遜為鎮西將軍、臨池太守,王德為酒泉太守。尋...
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北涼対後涼、張掖戦2

資治通鑑では明言されていませんが、沮渠蒙遜が段業に合流してから最初の官、又は初期の官に張掖太守がありました。『宋書』巻九十八、氐胡伝、胡大且渠蒙遜蒙遜率部曲投業,業以蒙遜為鎮西將軍、臨池太守,王德為酒泉太守。尋又以蒙遜領張掖太守。三年四月,業使蒙遜將萬人攻光弟子純於西郡,(後略)『晋書』巻一百二十九、沮渠蒙遜載記業以蒙遜為張掖太守,男成為輔國將軍,委以軍國之任。業將使蒙遜攻西郡,(後略)『太平御覧...
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