謝晦と怪異

『異苑』には漢末から宋にかけての面白い話がたくさん載っています。例えば、宋の謝晦が登場するのがいくつかあります。『太平広記』巻三百二十三、鬼八、謝晦『異苑』謝晦在荊州,壁角間有一赤鬼,長可三尺,來至其前,手擎銅盤,滿中是血。晦得乃紙盤,須臾而沒。謝晦が荊州に居た時(424年末~426年初)、(部屋の隅に)三尺ほどの「赤鬼(赤い亡霊?)」が出現し、血で満たされた銅盤を持って謝晦の前にやって来ました。...
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敦煌太守李暠2

李暠が「敦煌太守として自立」した経緯を見ると、まずベースに2段階あり、続けてまた2段階あります。『晋書』巻八十五、涼武昭王李玄盛伝(前略)敦煌護軍馮翊郭謙、沙州治中敦煌索仙等以玄盛溫毅有惠政,推為甯朔將軍、敦煌太守。玄盛初難之,會宋繇仕於業,告歸敦煌,言于玄盛曰:「(中略)」玄盛乃從之。尋進號冠軍,稱籓於業。業以玄盛為安西將軍、敦煌太守,領護西胡校尉。最初が、「郭謙・索仙らが李暠を寧朔将軍・敦煌太...
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魏晋南北記事1~999

(これは特殊な記事です。変更する可能性があります)「魏晋南北ブログについて」(2015/04/05)「西晋の八公」(2015/04/06)「陳騫と大将軍」(2015/04/07)「西晋の初代太尉&司徒」(2015/04/08)「八公の序列」(2015/04/09)「西晋八公略史」(2015/04/10)「司馬懿と征西大将軍」(2015/04/11)「呉征伐の呼称」(2015/04/12)「西晋の1...
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苻洪の改姓

『晋書』巻一百十二、苻洪載記始其家池中蒲生,長五丈,五節如竹形,時咸謂之蒲家,因以為氏焉。(中略)時有說洪稱尊號者,洪亦以讖文有「草付應王」,又其孫堅背有「草付」字,遂改姓苻氏,自稱大將軍、大單于、三秦王。前秦の創始者苻洪は、元は「蒲洪」であり、その「蒲姓」は家に生えた見事な蒲がきっかけで名乗るようになったものでしたが、後に苻洪が自立した際に讖文などに従って「苻姓」に変えたそうです。この「苻姓」へ...
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禿髪利鹿孤の即位

『資治通鑑』巻一百一十一、晋紀三十三、隆安三年(八月)武威王禿髮烏孤醉,走馬傷脅而卒,遺令立長君。國人立其弟利鹿孤,諡烏孤曰武王,廟號烈祖。利鹿孤大赦,徙治西平。『晋書』巻十、安帝紀、隆安三年秋八月,禿髮烏孤死,其弟利鹿孤嗣偽位。『太平御覧』巻一百二十六、偏霸部十、禿髪利鹿孤崔鴻『十六国春秋・南涼録』利鹿孤,烏孤弟。太初三年八月,即位,大赦,改治西平。建和元年正月,大赦,改元。『魏書』巻九十九、鮮...
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禿髪烏孤の刀

『太平御覧』巻三百四十六、兵部七十七、刀下陶弘景『刀剣録』南凉禿髮烏孤大初三年造一刀,狹小,長三尺五寸,青色。匠云「當作之時,夢見一人,披朱衣,云『吾是太乙神,故看爾作此刀。有敵至,刀必鳴。』」後落突厥可汗處。南涼の太初三年(399年)、禿髪烏孤の時に一振りの刀が製造されました。幅は狭く、長さは三尺五寸(90センチぐらい?)、青色の刀だったそうです。製造した刀匠の夢に現れた人物が「敵が来ると刀が鳴...
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武威王禿髪烏孤4

399年正月、南涼の君主・西平王禿髪烏孤は武威王となり、楽都に移り、弟の禿髪利鹿孤を西平公として安夷に、禿髪傉檀を広武公として西平に配置しました。『資治通鑑』巻一百一十一、晋紀三十三、隆安三年六月,烏孤以利鹿孤為涼州牧,鎮西平,召軍騎大將軍傉檀入錄府國事。同年6月、禿髪利鹿孤を涼州牧として西平に移し、禿髪傉檀を(西平から楽都へ)召喚して「府・国」の諸事を司らせたようです。(いわゆる宰相権限である「...
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河西の鸇陰2

『魏書』巻一百六、地形志二下、涇州、平涼郡鶉陰<郡治。前漢屬安定,後漢屬武威,晉罷,後復屬。有凡亭、涇陽、平涼城。>この鶉陰って鸇陰のことでは?前漢で安定、後漢で武威となれる地域は限られており、加えて晋で廃止されている点も一致します。また、『漢書』の地理志にも「鸇陰」ではなく「鶉陰」しか安定郡に含まれた場所に登場しません。名前が変わったか、混ざったか、いずれにしても同じ地名を指していると思われます...
タグ:地理 北魏

河西の鸇陰

後涼の殷祐は金城太守となると允吾を襲って反乱を起こし、敗れると興城に割拠して民衆を扇動していました。『晋書』巻一百二十二、呂光載記光尋擢祐為甯遠將軍、金城太守。祐次允吾,襲據外城以叛,祐從弟隨據鸇陰以應之。光遣其將魏真討隨,隨敗,奔祐,光將姜飛又擊敗祐眾。祐奔據興城,扇動百姓,夷夏多從之。飛司馬張象、參軍郭雅謀殺飛應祐,發覺,逃奔。この反乱の際に従弟が鸇陰に割拠して呼応しています。「鸇陰」は後漢の...
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呂紹伐段業

『資治通鑑』巻一百一十一、晋紀三十三、隆安三年(四月)涼太子紹、太原公纂將兵伐北涼,北涼王業求救於武威王烏孤,烏孤遣驃騎大將軍利鹿孤及楊軌救之。業將戰,沮渠蒙遜諫曰:「楊軌恃鮮卑之強,有窺窬之志,紹、纂深入,置兵死地,不可敵也。今不戰則有泰山之安,戰則有累卵之危。」業從之,按兵不戰。紹、纂引兵歸。399年4月頃、後涼の太子呂紹と(その兄の)呂纂が北涼に侵攻します。太子呂紹の箔付けなのか、涼王に即位...
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