劉道隆と孝武帝3

460年に青冀二州刺史となった劉道隆はそのまま孝武帝の末期まで在任します。この頃の青州と冀州は北魏に接する最前線であり、効率化のために歴城を拠点にほぼ統合するほどの措置が取られていましたが、停戦状態に入ったおかげで大事には至りませんでした。なお、都督区域は青冀二州に加え、徐州の東莞・東安、もしかしたら兗州の済北などの郡を含むものだったと思われます。『宋書』巻二十九、符瑞志下、嘉禾大明六年八月辛未,...
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劉道隆と孝武帝2

孝武帝の徐州刺史は、遊撃将軍だった垣護之が455年~456年(免官)、輔国将軍・太守だった申坦が456年~457年(逮捕)、左衛将軍だった沈曇慶が457年~458年(転任)という流れを経て劉道隆が就任します。都督区域は徐兗二州(豫州之)梁郡諸軍事のようです。将軍位は寧朔将軍。どうやら劉道隆は就任時に彭城の劉勔を寧朔司馬に招いていたようです。『宋書』巻八十六、劉勔伝劉勔字伯猷,彭城人也。祖懷義,始興...
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劉道隆と孝武帝

劉徳願の従兄弟の劉道隆もまた孝武帝のお気に入りであり、さらに前廃帝の腹心にもなりますが、明帝の始めに死ぬことになった人物です。『宋書』巻四十五、劉懐慎伝、劉道隆孫登弟道隆,元嘉二十二年,為廬江太守。世祖舉義,棄郡來奔,以補南中郎參軍事,加龍驤將軍。時世祖分麾下以為三幢,道隆與中兵參軍王謙之、馬文恭各領其一。大明中,歷黃門侍郎,徐、青、冀三州刺史。前廢帝景和中,以為右衞將軍,永昌縣侯,食邑五百戶,委...
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劉牢之の背景

『晋書』巻八十四、劉牢之伝劉牢之,字道堅,彭城人也。曾祖羲,以善射事武帝,曆北地、雁門太守。父建,有武幹,為征虜將軍。世以壯勇稱。牢之面紫赤色,須目驚人,而沈毅多計畫。太元初,謝玄北鎮廣陵,時苻堅方盛,玄多募勁勇,牢之與東海何謙、琅邪諸葛侃、樂安高衡、東平劉軌、西河田洛及晉陵孫無終等以驍猛應選。玄以牢之為參軍,領精銳為前鋒,百戰百勝,號為「北府兵」,敵人畏之。劉牢之の経歴・背景として有名なのはこの...
タグ: 東晋

征虜将軍の劉建

『晋書』巻八十四、劉牢之伝劉牢之,字道堅,彭城人也。曾祖羲,以善射事武帝,曆北地、雁門太守。父建,有武幹,為征虜將軍。世以壯勇稱。劉牢之の父の劉建は征虜将軍となり、軍事の才幹のあった人物だったそうです。東晋において中期か前期の軍人だったのでしょう。『晋書』巻七十九、謝安伝、謝万萬既受任北征,(中略)既而先遣征虜將軍劉建修治馬頭城池,自率眾入渦潁,以援洛陽。北中郎將郗曇以疾病退還彭城,萬以為賊盛致退...
タグ:東晋

猛将、劉康祖3

猛将らしさが足りない?『資治通鑑』巻一百二十五、宋紀七、元嘉二十七年魏永昌王仁攻懸瓠、項城,拔之。帝恐魏兵至壽陽,召劉康祖使還。癸卯,仁將八萬騎追及康祖於尉武。康祖有眾八千人,軍副胡盛之欲依山險間行取至,康祖怒曰:「臨河求敵,遂無所見;幸其自送,奈何避之!」乃結車營而進,下令軍中曰:「顧望者斬首,轉步者斬足!」魏人四面攻之,將士皆殊死戰。自旦至晡,殺魏兵萬餘人,流血沒踝,康祖身被十創,意氣彌厲。魏...
タグ: 北魏

猛将、劉康祖2

『宋書』巻五十、劉康祖伝頃之,世祖為豫州刺史,鎮歷陽,以康祖為征虜中兵參軍,既被委任,折節自修。轉太子翊軍校尉。久之,遷南平王鑠安蠻府司馬。免官された劉康祖はまもなく征虜将軍・都督・南豫州刺史の武陵王劉駿の部下、征虜中兵参軍として復帰します。武陵王劉駿は444年7月に撫軍将軍となっており、443年8月頃の免官から1年以内に復帰したことになりますね。今回は心を改め、まともに振る舞うようになったようで...
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猛将、劉康祖

劉裕(武帝)に従って戦死し、新康県男となった劉虔之。爵位を継承した息子の劉康祖は多くの問題を起こし、賭博で免官されたこともありました。『宋書』巻五十、劉康祖伝康祖,虔之子也,襲封,為長沙王義欣鎮軍參軍,轉員外散騎侍郎。便弓馬,膂力絕人,在閭里不治士業,以浮蕩蒱酒為事。每犯法,為郡縣所錄,輙越屋踰牆,莫之能禽。(中略)前後屢被糾劾,太祖以勳臣子,每原貸之。為員外郎十年,再坐摴蒱戲免。ただ、単なるドラ...
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劉真道の補足

『宋書』巻五、文帝紀、元嘉十四年二月壬子,以步兵校尉劉真道為梁、南秦二州刺史。劉真道が梁南秦二州刺史となったのは437年2月。歩兵校尉だったのは1年も無かったようです。『宋書』巻七十八、蕭思話伝九年,仇池大饑,益、梁州豐稔,梁州刺史甄法護在任失和,氐帥楊難當因此寇漢中。乃自徒中起思話督梁南秦二州諸軍事、橫野將軍、梁南秦二州刺史。(中略)十四年,遷使持節、臨川王義慶平西長史、南蠻校尉。ちなみに前任の...
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劉真道と劉道錫

『宋書』巻五十四、沈曇慶伝史臣曰:(中略)元嘉十三年,東土潦浸,民命棘矣。436年、宋の(揚州)東部で洪水が発生。また、飢饉にも襲われたそうです。『宋書』巻四十七、劉懐粛伝、懷敬子真道,為錢唐令。元嘉十三年,東土饑,上遣揚州治中從事史沈演之巡行在所,演之上表曰:「宰邑敷政,必以簡惠成能,莅職闡治,務以利民著績。故王奐見紀於前,叔卿流稱於後。竊見錢唐令劉真道、餘杭令劉道錫,皆奉公卹民,恪勤匪懈,百姓...
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