孫泰と杜炯

『晋書』巻十、安帝紀、隆安二年十二月己丑,魏王珪卽尊位,年號天興。京兆人韋禮帥襄陽流人叛,降于姚興。己酉,前新安太守杜炯反于京口,會稽王世子元顯討斬之。隆安二年の十二月、己丑の日、前新安太守の杜炯が京口で反逆したことから、会稽王世子司馬元顕が討ち、これを斬りました。『資治通鑑』巻一百一十、晋紀三十二、隆安二年(十二月)初,琅邪人孫泰學妖術於錢唐杜子恭,士民多奉之。王珣惡之,流泰於廣州。王雅薦泰於孝...

劉敬宣と後将軍2

『宋書』巻四十七、劉敬宣伝五年,孫恩又入浹口,高祖戍句章,賊頻攻不能拔,敬宣請往為援,賊恩於是退遠入海。是時四方雲擾,朝廷微弱,敬宣每慮艱難未已。高祖既累破妖賊,功名日盛,故敬宣深相憑結,情好甚隆。元顯進號驃騎,敬宣仍隨府轉,軍、郡如故。元顯驕淫縱肆,羣下化之,敬宣每預燕會,未嘗飲酒,調戲之來,無所酬答,元顯甚不說。尋進號輔國將軍,餘如故。401年、またも孫恩と東晋の戦いが起き、劉裕や劉敬宣などが...
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劉敬宣と後将軍

『宋書』巻四十七、劉敬宣伝元顯進號後將軍,以敬宣為諮議參軍,加寧朔將軍。三年,孫恩為亂,東土騷擾,牢之自表東討,(中略)進平會稽。尋加臨淮太守,遷後軍從事中郎。ところで宋書では、司馬元顕が後将軍に進号→劉敬宣がその諮議参軍となる→孫恩の乱→会稽平定→従事中郎に転任という流れです。ところがこれには問題があります。『晋書』巻十、安帝紀、隆安三年夏四月乙未,加尚書令王珣衞將軍,以會稽王世子元顯為揚州刺史。(...
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劉敬宣の初陣3

『宋書』巻四十七、劉敬宣伝牢之至竹里,斬恭大將顏延,遣敬宣率高雅之等還京襲恭,恭方出城耀軍,馳騎橫擊之,一時散潰。元顯進號後將軍,以敬宣為諮議參軍,加寧朔將軍。王恭を平定した後、劉敬宣は司馬元顕が後将軍に進号すると共にその諮議参軍となり、寧朔将軍が加官されました。順調に司馬元顕の幕僚として出世しています。『晋書』巻十、安帝紀、隆安二年十二月己丑,魏王珪卽尊位,年號天興。京兆人韋禮帥襄陽流人叛,降于...
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劉敬宣の初陣2

『宋書』巻四十七、劉敬宣伝起家為王恭前軍參軍,又參會稽世子元顯征虜軍事。劉敬宣は宋書では前将軍王恭の参軍として起家したとあります。これが実質初任でしょう。『晋書』巻九、孝武帝紀、太元十五年十五年春正月乙亥,鎮北將軍、譙王恬之薨。龍驤將軍劉牢之及翟遼、張願戰于太山,王師敗績。征虜將軍朱序破慕容永於太行。二月辛巳,以中書令王恭為都督青兗幽并冀五州諸軍事、前將軍、青兗二州刺史。王恭は391年に前将軍・青...
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劉敬宣の初陣

『晋書』巻八十四、劉牢之伝、劉敬宣敬宣,牢之長子也。智略不及父,而技藝過之。孫恩之亂,隨父征討,所向有功。為元顯從事中郎,又為桓玄諮議參軍。『晋書』では劉敬宣の最初の事績は父に従って「孫恩の乱」の討伐に参加したことです。また、司馬元顕の従事中郎が最初に見られる官ですね。『晋書』巻十、安帝紀、隆安二年秋七月,(中略)兗州刺史王恭、豫州刺史庾楷、荊州刺史殷仲堪、廣州刺史桓玄、南蠻校尉楊佺期等舉兵反。(...
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征東将軍の孟建

『三国志』巻十五、温恢伝恢卒後,汝南孟建為涼州刺史,有治名,官至征東將軍。魏の征東将軍となった孟建。この「魏の征東将軍」は都督揚州の曹休、都督揚州の満寵、都督揚州の王淩、都督青徐の胡質、都督青徐?の胡遵、都督揚州の諸葛誕、都督揚州の王基、都督揚州の石苞といった錚々たる顔ぶれが就任者です。果たして孟建がこの一員に加わることができるのでしょうか。少なくとも「どこかの都督(揚州か青徐州)」だったはずであ...
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征☓将軍

「征東将軍・征西将軍・征南将軍・征北将軍」の4将軍号はまとめて「四征将軍」と呼ばれており、後漢の頃は上位の雑号将軍に過ぎませんでしたが、魏晋で将軍号や都督制度などの軍長官が再構築される中で(特に地方の)最上位将軍号の一つとなり、「三公に次ぐ驃騎・車騎・衛将軍」に次ぐ重い地位に定まりました。したがって、この時代で「征☓将軍」を見かけたら、とりあえず大物とみなして良いでしょう。・・・と考えると失敗しま...
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征西将軍姜維

例の李厳弾劾の上奏文書はよく当時の官爵がまとまっていますが、怪しい記述もあります。『三国志』巻四十、李厳伝、注引『公文上尚書』(前略)行前監軍征南將軍臣劉巴、行中護軍偏將軍臣費禕、行前護軍偏將軍漢成亭侯臣許允、行左護軍篤信中郎將臣丁咸、行右護軍偏將軍臣劉敏、行護軍征南將軍當陽亭侯臣姜維、行中典軍討虜將軍臣上官雝、(後略)偏将軍が重なるのはともかく、征南将軍も重複しています。さあ、今回も誤字かどうか...
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義陽の劉邕2

『三国志』巻四十五、楊戯伝、季漢輔臣賛、劉邕建興中,稍遷至監軍後將軍,賜爵關內侯,卒。223年以降に監軍となった劉邕。諸葛亮時代の監軍といえば、義陽の鄧芝。建国前後に広漢太守から尚書となり、北伐が始まる頃には中監軍・揚武将軍として参加するようになった人物です。そして劉邕と同郷でもあり、年齢も近いでしょう(10年差以内)。劉邕も似たような経歴だった可能性はありますね。『三国志』巻四十、李厳伝、注引『...
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