杜襲と趙儼

杜襲は袁渙らとは少し毛色が違います。『三国志』巻二十三、杜襲伝杜襲字子緒,潁川定陵人也。曾祖父安,祖父根,著名前世。襲避亂荊州,劉表待以賓禮。(中略)建安初,太祖迎天子都許。襲逃還鄉里,太祖以為西鄂長。(中略)司隸鍾繇表拜議郎參軍事。荀彧又薦襲,太祖以為丞相軍祭酒。魏國既建,為侍中,與王粲、和洽並用。(中略)後襲領丞相長史,隨太祖到漢中討張魯。太祖還,拜襲駙馬都尉,留督漢中軍事。(中略)太祖東還,...
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魏公勧進、祭酒1

213年の丞相祭酒は王選、袁渙、王朗、張承、任藩、杜襲のようです。王選と任藩は名前以外不明。任藩は任峻の縁者か楽安任氏?残る袁渙・王朗・張承・杜襲はいずれも曹操が重んじた名士達です。『三国志』巻十一、袁渙伝袁渙字曜卿,陳郡扶樂人也。父滂,為漢司徒。當時諸公子多越法度,而渙清靜,舉動必以禮。郡命為功曹,郡中姦吏皆自引去。後辟公府,舉高第,遷侍御史。除譙令,不就。劉備之為豫州,舉渙茂才。(中略)布誅,...
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魏公勧進、三長史

213年初に丞相長史だったのは万潜・謝奐・袁覇の3人。雲子春秋「曹操政権における丞相(司空)長史」http://d.hatena.ne.jp/chincho/20111206/1323099659長史についてはこちらも参考にしてください。この3人とも当時の事績がよく分からないので、とりあえず人物に関係のある情報をまとめました。『三国志』巻一、武帝紀青州黃巾眾百萬入兗州,殺任城相鄭遂,轉入東平。劉岱欲擊之,鮑信諫曰:「(中略)」岱不從,遂與戰,果...
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魏公勧進者の官爵2

『三国志』巻一、武帝紀、注引『魏書載公令』於是中軍師陸樹亭侯荀攸、前軍師東武亭侯鍾繇、左軍師涼茂、右軍師毛玠、平虜將軍華鄉侯劉勳、建武將軍清苑亭侯劉若、伏波將軍高安侯夏侯惇、揚武將軍都亭侯王忠、奮威將軍樂鄉侯劉展、建忠將軍昌鄉亭侯鮮于輔、奮武將軍安國亭侯程昱、太中大夫都鄉侯賈詡、軍師祭酒千秋亭侯董昭、都亭侯薛洪、南鄉亭侯董蒙、關內侯王粲、傅巽、祭酒王選、袁渙、王朗、張承、任藩、杜襲、中護軍國明亭侯...
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後涼の謎元号と呂紹の死

『太平広記』巻三百二十一、鬼六『述異記』呂光承康元年,有鬼叫於都街曰。兄弟相滅百姓弊。徼吏尋視之,則無所見。其年光死,子紹代立。五日,紹庶兄篡,殺紹自立。『述異記』には晋書などには見られない後涼の元号が登場します。この「承康元年」は「承康二年」や「永康二年」とするものもあり、呂光が死んだ年に「承康」か「永康」の元号の1年目か2年目だったとする記録があったようです。しかし『十六国春秋』ではこの年を「...
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魏詠之と殷仲堪3

魏詠之は武帝紀の挙兵後の檄文で「兗州主簿魏詠之」と書かれています。これは桓玄体制における官でしょう。『晋書』巻八十五、魏詠之伝初為州主簿,嘗見桓玄。既出,玄鄙其精神不雋,謂坐客曰:「庸神而宅偉幹,不成令器。」竟不調而遣之。詠之早與劉裕游款,及玄篡位,協贊義謀。玄敗,授建威將軍、豫州刺史。桓歆寇歷陽,詠之率眾擊走之。義熙初,進征虜將軍、吳國內史,尋轉荊州刺史、持節、都督六州,領南蠻校尉。詠之初在布衣...
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呂光の継承者5

『晋書』巻一百二十二、呂纂載記呂弘自以功名崇重,恐不為纂所容,纂亦深忌之。弘遂起兵東苑,劫尹文、楊桓以為謀主,請宗燮俱行。燮曰:「老臣受先帝大恩,位為列棘,不能隕身授命,死有餘罪,而復從殿下,親為戎首者,豈天地所容乎!且智不能謀,眾不足恃,將焉用之!」弘曰:「君為義士,我為亂臣!」乃率兵攻纂。纂遣其將焦辨擊弘,弘眾潰,出奔廣武。纂縱兵大掠,以東苑婦女賞軍,弘之妻子亦為士卒所辱。纂笑謂羣臣曰:「今日...
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呂纂の器量

『晋書』巻一百二十二、呂纂載記纂於是夜率壯士數百,踰北城,攻廣夏門,弘率東苑之眾斫洪範門。左衞齊從守融明觀,逆問之曰:「誰也?」眾曰:「太原公。」從曰:「國有大故,主上新立,太原公行不由道,夜入禁城,將為亂邪?」因抽劍直前,斫纂中額。纂左右擒之,纂曰:「義士也,勿殺。」紹遣武賁中郎將呂開率其禁兵距戰于端門,驍騎呂超率卒二千赴之。眾素憚纂,悉皆潰散。纂入自青角門,升于謙光殿。紹登紫閣自殺,呂超出奔廣...
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呂紹の妻、張美人

『太平御覧』巻四百三十九、人事部八十、貞女上『後涼録』初,呂紹之死也,美人敦煌張氏,年十四,爲沙門,清辯,有姿色,呂隆見而悅之,遣中書郎裴敏說之。張氏善言理,敏爲之屈。隆親逼之,張氏曰:「欽樂至法,故投身道門,且一辱于人,誓不毀節,今逼如此,豈非命也。」升門樓自投于地,二脛俱折,口誦佛經,俄而卒。『晋書』巻九十六、列女伝、呂纂妻楊氏時呂紹妻張氏亦有操行,年十四,紹死,便請為尼。呂隆見而悅之,欲穢其...
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天王の呂紹

北涼侵攻の後、同399年12月に危篤の呂光によって呂紹が天王となります。時に18歳以上。『晋書』巻一百二十二、呂光載記光疾甚,立其太子紹為天王,自號太上皇帝。以呂纂為太尉,呂弘為司徒。謂紹曰:「吾疾病唯增,恐將不濟。三寇闚𨵦,迭伺國隙。吾終之後,使纂統六軍,弘管朝政,汝恭己無為,委重二兄,庶可以濟。若內相猜貳,釁起蕭牆,則晉趙之變旦夕至矣。」又謂纂、弘曰:「永業才非撥亂,直以正嫡有常,猥居元首。今...
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