後漢の周敞1

周敞単独で登場する逸話もあります。『太平御覧』巻一百九十四、居処部二十二、亭謝承『後漢書』蒼梧廣信女子蘇娥,行宿鵲巢亭,為亭長龔壽所殺,及婢致富,取財物埋置樓下。交阯刺史周敞行部宿亭,覺壽奸罪,奏之,殺壽。謝承『後漢書』に周敞の列伝もあったかもしれませんね。『太平御覧』巻八百七十五、咎徵部二、客星謝承『後漢書』吳郡周敞,師事京房。為趙顯所譖,謂敞曰:「吾死後三十日,客星必出天市,即吾無辜也。」死后...
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後漢の陳茂2

陳茂と周敞のコンビは別の逸話にも登場します。『太平御覧』巻二百六十三、職官部六十一、別駕謝承『後漢書』陳茂,豫州刺史周敞辟為別駕從事。與俱行部,到潁川陽翟傳。傳中有置美酒一押,敞去,敕御騶載酒以行。茂見,於外取押擊柱破之,敞問茂:「刺史年老酒益氣,別駕破押,名亦何益?」茂答曰:「所過皆有,以明使君傳車騑驂載酒非宜也。」ソースは謝承の『後漢書』。交趾別駕の逸話もここが元なので、謝承の『後漢書』に列伝...
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後漢の陳茂1

『風俗通義』第四、過誉篇、汝南陳茂汝南陳茂君因為荊州刺史,時南陽太守灌恂,本名清能,茂不入宛城,引車到城東,為友人衛修母拜,到州。修先是茂客,仕蒼梧還。到修家,見修母婦,說修坐事繫獄當死。因詣府門,移辭乞恩,隨輩露首,入坊中,容止嚴恪,鬚眉甚偉。太守大驚,不覺自起立,賜巾延請,甚嘉敬之,即焉出修,南陽士大夫謂恂能救解修。茂彈繩不撓,修竟極罪,恂亦以它事去。南陽疾惡殺修,為之語曰:「衛修有事,陳茂治...
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涼茂の謎9

『三国志』巻十一、涼茂伝、注引『英雄記』茂名在八友中。英雄記によると、涼茂は「八友」の一員だったそうです。注の挿入位置は列伝の最後。『三国志』巻十一、涼茂伝文帝在東宮,茂復為太子太傅,甚見敬禮。卒官。この後ろです。直前に文帝・曹丕との関係が言及されており、この「八友」は曹丕の「四友」の類とされることが多いですね。『梁書』巻一、武帝紀上竟陵王子良開西邸,招文學,高祖與沈約、謝朓、王融、蕭琛、范雲、任...
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涼茂の謎8

『三国志』巻十一、涼茂伝魏國初建,遷尚書僕射,後為中尉、奉常。文帝在東宮,茂復為太子太傅,甚見敬禮。卒官。涼茂は魏国の尚書僕射、中尉、奉常となり、魏王太子の太子太傅となって没しました。『三国志』巻二、文帝紀、延康元年、注引『魏書』丁亥令曰「故尚書僕射毛玠、奉常王脩、涼茂、郎中令袁渙、少府謝奐、萬潛、中尉徐奕、國淵等、皆忠直在朝、履蹈仁義、並早即世、而子孫陵遲、惻然愍之、其皆拜子男為郎中。」そしてこ...
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魏国の中尉

『三国志』巻二、文帝紀、延康元年、注引『魏書』丁亥令曰「故尚書僕射毛玠、奉常王脩、涼茂、郎中令袁渙、少府謝奐、萬潛、中尉徐奕、國淵等、皆忠直在朝、履蹈仁義、並早即世、而子孫陵遲、惻然愍之、其皆拜子男為郎中。」『三国志』巻十一、国淵伝遷太僕。居列卿位,布衣蔬食,祿賜散之舊故宗族,以恭儉自守,卒官。『三国志』巻十一、涼茂伝魏國初建,遷尚書僕射,後為中尉、奉常。文帝在東宮,茂復為太子太傅,甚見敬禮。卒官...
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毛玠の謎2

まず崔琰は魏王に進んだ後に死んでいるのは確実。216年5月以降。次に鍾繇が大理を離れた時期もわかっています。216年8月。そこから、崔琰の死と毛玠の失脚は「216年の5月から8月の間」となるでしょう。さて、毛玠の最終官位は尚書僕射のようです。「魏国」の尚書僕射。『三国志』巻二十二、毛玠伝魏國初建,為尚書僕射,復典選舉。人事も引き続き担当。一方、涼茂も「魏国」の尚書僕射となっており、続いて中尉、奉常...
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毛玠の謎1

タイトルがあまりにもワンパターンですが、毛玠版。『三国志』巻二十二、毛玠伝魏國初建,為尚書僕射,復典選舉。時太子未定,而臨菑侯植有寵,玠密諫曰:「近者袁紹以嫡庶不分,覆宗滅國。廢立大事,非所宜聞。」後羣僚會,玠起更衣,太祖目指曰:「此古所謂國之司直,我之周昌也。」崔琰既死,玠內不悅。後有白玠者:「出見黥面反者,其妻子沒為官奴婢,玠言曰『使天不雨者蓋此也』。」太祖大怒,收玠付獄。大理鍾繇詰玠曰:「(...
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後漢の八友・八及

『三国志』巻八、劉表伝、注引『漢末名士録』(劉)表與汝南陳翔字仲麟、范滂字孟博、魯國孔昱字世元、勃海苑康字仲真、山陽檀敷字文友、張儉字元節、南陽岑晊字公孝為八友。『漢末名士録』が「八友」と呼ぶメンバーは以下の通り。兗州・山陽の劉表(字は景升)豫州・汝南の陳翔(字は仲麟)豫州・汝南の范滂(字は孟博)豫州・魯国の孔昱(字は世元)冀州・勃海の苑康(字は仲真)兗州・山陽の檀敷(字は文友)兗州・山陽の張倹(...
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魏国の大臣

メモ。てぃーえすのワードパッド「魏郡と冀州の膨張」http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100711/1278780381『三国志』巻一、武帝紀、建安十八年五月丙申,天子使御史大夫郗慮持節策命公為魏公(中略)冬十月,分魏郡為東西部,置都尉。十一月,初置尚書、侍中、六卿。『三国志』巻一、武帝紀、建安十八年、注引『魏氏春秋』以荀攸為尚書令,涼茂為僕射,毛玠、崔琰、常林、徐奕、何夔為尚書,王粲、杜襲、衞覬、和洽為侍中。文選の注に...
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