琅邪王司馬徳文と太元年間

392年に琅邪王となった司馬徳文はまだ7歳の若さであり、4年後の太元年間最後の年でも11歳に過ぎませんでした。そのため、本人の活動に関するに情報はほとんどありません。『晋書』巻九十三、外戚伝、何準、何澄澄字季玄,起家祕書郎,轉丞,清正有器望,累遷祕書監、太常、中護軍。孝武帝深愛之,以為冠軍將軍、吳國內史。太元末,琅邪王出居外第,妙選師傅,徵拜尚書,領琅邪王師。とりあえず、師傅が選ばれた際に廬江の何...
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琅邪王司馬徳文の誕生

『晋書』巻九、孝武帝紀、太元十七年十七年春正月己巳朔,大赦,除逋租宿債。夏四月,齊國內史蔣喆殺樂安太守辟閭濬,據青州反,北平原太守辟閭渾討平之。五月丁卯朔,日有蝕之。六月癸卯,京師地震。甲寅,濤水入石頭,毀大桁。永嘉郡潮水湧起,近海四縣人多死者。乙卯,大風,折木。戊午,梁王龢薨。慕容垂襲翟釗于黎陽,敗之,釗奔于慕容永。秋七月丁丑,太白晝見。八月,新作東宮。冬十月丁酉,太白晝見。辛亥,都督荊益寧三州...
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陳帰女2

陳帰女、あるいは陳淑媛は意外なところにも登場します。『晋書』巻六十四、簡文三子伝、会稽文孝王司馬道子中書郎范甯亦深陳得失,帝由是漸不平於道子,然外每優崇之。國寶即甯之甥,以諂事道子,甯奏請黜之。國寶懼,使陳郡袁悅之因尼妙音致書與太子母陳淑媛,說國寶忠謹,宜見親信。帝因發怒,斬悅之。國寶甚懼,復譖甯於帝。帝不獲已,流涕出甯為豫章太守。道子由是專恣。『晋書』巻七十五、王湛伝、王国宝中書郎范甯,國寶舅也...
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陳帰女1

司馬徳宗(安帝)・司馬徳文(恭帝)兄弟は同母兄弟でした。『晋書』巻三十二、后妃伝下、安徳陳太后安德陳太后諱歸女,松滋潯陽人也。父廣,以倡進,仕至平昌太守。后以美色能歌彈,入宮為淑媛,生安、恭二帝。太元十五年薨,贈夫人。追崇曰皇太后,神主祔于宣太后廟,陵曰熙平。彼らの母は陳帰女といい、(揚州)松滋郡潯陽の人でした。父の陳広は平昌太守まで出世。平昌は元は青州に所属。後に(南)徐州にも置かれました。陳帰...
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恭帝司馬徳文の誕生1

『晋書』巻十、恭帝紀恭帝諱德文,字德文,安帝母弟也。(略)宋永初二年九月丁丑,裕使后兄叔度請后;有間,兵人踰垣而入,弒帝于內房。時年三十六。東晋の最後の皇帝、恭帝・司馬徳文は421年に殺されました。享年36歳。逆算すると生年は386年。東晋の太元十一年です。時に父、孝武帝の治世。『晋書』巻九、孝武帝紀、太元十一年十一年春正月辛未,慕容垂僭即皇帝位于中山。壬午,翟遼襲黎陽,執太守滕恬之。乙酉,謁諸陵...
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蒋欽と周泰4

『三国志』巻五十五、周泰伝與蔣欽隨孫策為左右,服事恭敬,數戰有功。策入會稽,署別部司馬,授兵。權愛其為人,請以自給。(中略)而賊鋒刃已交於左右,或斫中馬鞍,眾莫能自定。惟泰奮激,投身衞權,膽氣倍人,左右由泰並能就戰。賊既解散,身被十二創,良久乃蘇。是日無泰,權幾危殆。策深德之,補春穀長。(中略)時朱然、徐盛等皆在所部,並不伏也,權特為案行至濡須塢,因會諸將,大為酣樂。權自行酒到泰前,命泰解衣,權手...
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蒋欽と周泰3

『三国志』巻五十五、蒋欽伝從征合肥,魏將張遼襲權於津北,欽力戰有功,遷盪寇將軍,領濡須督。後召還都,拜右護軍,典領辭訟。權嘗入其堂內,母疎帳縹被,妻妾布裙。權歎其在貴守約,即敕御府為母作錦被,改易帷帳,妻妾衣服悉皆錦繡。初,欽屯宣城,嘗討豫章賊。蕪湖令徐盛收欽屯吏,表斬之,權以欽在遠不許,盛由是自嫌於欽。曹公出濡須,欽與呂蒙持諸軍節度。盛常畏欽因事害己,而欽每稱其善。盛既服德,論者美焉。權討關羽,...
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猗盧と王浚2

310年頃に代公となり、雁門北部を得た拓跋猗盧は(おそらく代郡周辺で)王浚と軍事的に衝突し始めます。(309年か)310年から拓跋猗盧は劉琨を支援するようになり、またその劉琨が代公封爵を進めたことが上記の王浚との対立の原因でした。劉琨と王浚の直接の対立・衝突は311年か312年。さて、この時点の王浚は強力な段部鮮卑や烏丸などを従え、幽州一帯に長らく安定した勢力を築いていました。対する劉琨は漢との戦...
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劉琨対王浚2

王浚伝:承制により荀藩を太尉とする→祁弘が広宗で戦死→劉琨が王浚と冀州を巡って争うようになる→劉希の派遣→王浚軍が劉希を撃破資治通鑑(311年):劉琨の慰撫により帰順者/離脱者が多数→劉琨が子の劉遵を送って代公猗盧に派兵要請→劉希の派遣→王浚軍が劉希を撃破、敗死させる→代公猗盧が子の拓跋六脩を遣わして新興を守らせる(劉琨伝:劉淵遷都→劉琨の慰撫により帰順者/離脱者が多数→晋陽失陥)上記の劉淵遷都は308年秋...
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劉琨対王浚1

劉琨と王浚の対立の中で、晋書で明言されているものが中山や幽州3郡を巡る戦いです。『晋書』巻三十九、王沈伝、王浚其後浚布告天下,稱受中詔承制,乃以司空荀藩為太尉,光祿大夫荀組為司隸,大司農華薈為太常,中書令李絙為河南尹。又遣祁弘討勒,及於廣宗。時大霧,弘引軍就道,卒與勒遇,為勒所殺。由是劉琨與浚爭冀州。琨使宗人劉希還中山合眾,代郡、上谷、廣寗三郡人皆歸于琨。浚患之,遂輟討勒之師,而與琨相距。浚遣燕相...
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