3人の衛将軍6

王珣が衛将軍とならなかった場合、史書に準拠しようとすると最終的な将軍号は前将軍となるでしょう。ところが、これには一つ問題があります。『晋書』巻十、安帝紀、隆安四年冬十一月,寧朔將軍高雅之及孫恩戰於餘姚,王師敗績。以揚州刺史元顯為後將軍、開府儀同三司、都督揚豫徐兗青幽冀并荊江司雍梁益交廣十六州諸軍事,前將軍劉牢之為鎮北將軍,封元顯子彥璋為東海王。まず、帝紀を見ると王珣の死後に前将軍の劉牢之が見られま...
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3人の衛将軍5

そもそも王珣が衛将軍だったという情報が帝紀と本人の列伝ぐらいにしかなく、実は後世の琅邪王氏の陰謀によるものなのでは。単純に誰かとの混同なのかもしれませんが。(例えば、「琅邪の王珣」と「琅邪王」が混ざったとか)。晋書にない情報も見つかったりする世説新語やその註でも、特に衛将軍の言及はなかったはず。『新唐書』巻七十二、宰相世系表二中、王氏二子:祥、覽。覽字玄通,晉宗正卿、即丘貞子。六子:栽、基、會、正...
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3人の衛将軍4

ところで、資治通鑑と王珣伝と違い、帝紀では王恭の乱の際の王珣の将軍号は前将軍です。『晋書』巻三十七、宗室伝、譙剛王司馬遜、司馬尚之兗州刺史王恭忌其盛也,與豫州刺史庾楷並稱兵,以討尚之為名,南連荊州刺史殷仲堪、南郡公桓玄等。道子命前將軍王珣、右將軍謝琰討恭,尚之距楷。『晋書』巻六十四、簡文三子伝、会稽文孝王司馬道子於是以為征討都督、假節,統前將軍王珣、左將軍謝琰及將軍桓之才、毛泰、高素等伐恭,滅之。...
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3人の衛将軍3

当事者の列伝や帝紀以外ではどうでしょうか。まずはこの頃の衛将軍。『晋書』巻八十四、劉牢之伝及孫恩攻陷會稽,牢之遣將桓寶率師救三吳,復遣子敬宣為寶後繼。比至曲阿,吳郡內史桓謙已棄郡走,牢之乃率眾東討,拜表輒行。至吳,與衞將軍謝琰擊賊,屢勝,殺傷甚眾,徑臨浙江。進拜前將軍、都督吳郡諸軍事。時謝琰屯烏程,遣司馬高素助牢之。牢之率眾軍濟浙江,恩懼,逃于海。牢之還鎮,恩復入會稽,害謝琰。牢之進號鎮北將軍、都...
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3人の衛将軍2

先人の解釈が詰まった資治通鑑を見てみしょう。『資治通鑑』巻一百一十、晋紀三十二、隆安二年九月,辛卯,加會稽王道子黃鉞,以世子元顯為征討都督;遣衛將軍王珣、右將軍謝琰將兵討王恭,譙王尚之將兵討庾楷。『資治通鑑』巻一百一十、晋紀三十二、隆安二年十一月,以琅邪王德文為衛將軍、開府儀同三司,征虜將軍元顯為中領軍,領軍將軍王雅為尚書左僕射。『資治通鑑』巻一百一十一、晋紀三十三、隆安三年(六月)會稽世子元顯自...
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3人の衛将軍1

『晋書』巻十、安帝紀、隆安三年三年春正月辛酉,封宗室蘊為淮陵王。二月甲辰,河間王國鎮薨。林邑范胡達陷日南、九真,遂寇交阯,太守杜瑗討破之。段業自稱涼王。仇池公楊盛遣使稱藩,獻方物。三月己卯,追尊所生陳夫人為德皇太后。夏四月乙未,加尚書令王珣衞將軍,以會稽王世子元顯為揚州刺史。六月戊子,以琅邪王德文為司徒。慕容德陷青州,害龍驤將軍辟閭渾,遂僭即皇帝位于廣固。秋八月,禿髮烏孤死,其弟利鹿孤嗣偽位。冬十...
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司馬元顕と司馬徳文2

「王恭の乱」討伐を経て司馬元顕は征討都督&中書令&中領軍となりました。征討都督は北伐や大規模討伐などの重大な軍事作戦の総大将に与えられる非常置の官であり、領軍は禁軍・宿営軍のトップ。主な反乱平定後も征討都督だったことは非常事態が継続していたことを示しますが、征討都督と領軍を兼ねるというのは例外的な状況であり、軍権の集約や拡大とみなせるでしょう。また、中書省は東晋では西晋ほど目立つ存在ではなく、さら...
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司馬元顕と東晋明帝のイメージ

『晋書』巻六十四、簡文三子伝、会稽文孝王司馬道子(前略)朝廷憂懼,於是內外戒嚴。元顯攘袂慷慨謂道子曰:「去年不討王恭,致有今役。今若復從其欲,則太宰之禍至矣。」道子日飲醇酒,而委事於元顯。元顯雖年少,而聰明多涉,志氣果銳,以安危為己任。尚之為之羽翼。時相傅會者,皆謂元顯有明帝神武之風。於是以為征討都督、假節,統前將軍王珣、左將軍謝琰及將軍桓之才、毛泰、高素等伐恭,滅之。『資治通鑑』巻一百一十、晋紀...
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呉の二世騎都尉

『三国志』巻五十五、周泰伝後權破關羽,欲進圖蜀,拜泰漢中太守、奮威將軍,封陵陽侯。黃武中卒。子邵以騎都尉領兵。曹仁出濡須,戰有功,又從攻破曹休,進位裨將軍,黃龍二年卒。弟承領兵襲侯。周泰の子の周邵は騎都尉となり、父の軍を継承しました。朱桓伝を見ると、濡須督の職務は継承しなかったようですが。ここで、他の呉で騎都尉となった2世武将達を調べてみましょう。『三国志』巻六十一、潘濬伝赤烏二年,濬卒,子翥嗣。...
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会稽王父子と衛府

『晋書』巻六十四、簡文三子伝、会稽文孝王司馬道子道子世子元顯,時年十六,為侍中,心惡恭,請道子討之。乃拜元顯為征虜將軍,其先衞府及徐州文武悉配之。会稽王世子の司馬元顕が征虜将軍となる時、衛将軍府と徐州の属官達をそのまま配属させたとあります。この衛将軍府と徐州府はどこから来たものでしょうか。『晋書』巻六十四、簡文三子伝、会稽文孝王司馬道子及謝安薨,詔曰:「新喪哲輔,華戎未一,自非明賢懋德,莫能綏御內...
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