曹操の東西曹3

東曹系に比べ、西曹系は在任者の記録が少なめです。『三国志』巻八、張魯伝、注引『世語』(張)魯遣五官掾降,弟衞橫山築陽平城以拒,王師不得進。魯走巴中。軍糧盡,太祖將還。西曹掾東郡郭諶曰:「不可。魯已降,留使既未反,衞雖不同,偏攜可攻。縣軍深入,以進必克,退必不免。」太祖疑之。夜有野麋數千突壞衞營,軍大驚。夜,高祚等誤與衞眾遇,祚等多鳴鼓角會眾。衞懼,以為大軍見掩,遂降。215年の張魯征伐の際の西曹掾...
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曹操の東西曹2

資治通鑑の記述を脅かす情報は他にもあります。『三国志』巻十一、邴原伝徙署丞相徵事。崔琰為東曹掾,記讓曰:「徵事邴原、議郎張範,皆秉德純懿,志行忠方,清靜足以厲俗,貞固足以幹事,所謂龍翰鳳翼,國之重寶。舉而用之,不仁者遠。」代涼茂為五官將長史,閉門自守,非公事不出。これは明白に崔琰が「東曹掾」となったことを示しています。列伝では「東西曹掾属」という書き方だったので、「西曹属→東曹掾→徴事」という順序が...
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曹操の東西曹1

『後漢書』(続漢書)の百官志(の太尉の記事)の本注において、以下の記述があります。東西曹掾比四百石,餘掾比三百石,屬比二百石,故曰公府掾,比古元士三命者也。(中略)西曹主府史署用。東曹主二千石長吏遷除及軍吏。公令史百石,自中興以後,注不說石數。三公の太尉を始めとした高官の幕府には「曹」と呼ばれる部署があり、そこに掾・属・令史と呼ばれる役人がいました。ここの秩禄にあるように、「掾>属>令史」という序...
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曹操の冀州主簿

『資治通鑑』巻六十五、漢紀五十七、建安十三年夏,六月,罷三公官,復置丞相、御史大夫。癸巳,以曹操爲丞相。操以冀州別駕從事崔琰爲丞相西曹掾,司空東曹掾陳留毛玠爲丞相東曹掾,元城令河內司馬朗爲主簿,弟懿爲文學掾,冀州主簿盧毓爲法曹議令史。毓,植之子也。(中略)司馬懿,少聰達,多大略,崔琰謂其兄朗曰:「君弟聰亮明允,剛斷英特,非子所及也!」操聞而辟之,懿辭以風痹。操怒,欲收之,懿懼,就職。資治通鑑による...
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魏公国の侍中4

辛毗と劉曄は曹操の侍中となったという記録はありません(少なくとも列伝内には)。代わりに明白に記録があるのが桓階と陳羣です。『三国志』巻二十二、桓階伝魏國初建,為虎賁中郎將、侍中。時太子未定,而臨菑侯植有寵。階數陳文帝德優齒長,宜為儲副,公規密諫,前後懇至。又毛玠、徐奕以剛蹇少黨,而為西曹掾丁儀所不善,儀屢言其短,賴階左右以自全保。其將順匡救,多此類也。遷尚書,典選舉。曹仁為關羽所圍,太祖遣徐晃救之...
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毛玠の謎4

『三国志』巻二十二、毛玠伝毛玠字孝先,陳留平丘人也。少為縣吏,以清公稱。將避亂荊州,未至,聞劉表政令不明,遂往魯陽。太祖臨兗州,辟為治中從事。玠語太祖曰:「今天下分崩,國主遷移,生民廢業,饑饉流亡,公家無經歲之儲,百姓無安固之志,難以持久。今袁紹、劉表,雖士民眾彊,皆無經遠之慮,未有樹基建本者也。夫兵義者勝,守位以財,宜奉天子以令不臣,脩耕植,畜軍資,如此則霸王之業可成也。」太祖敬納其言,轉幕府功...
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毛玠の謎3

『三国志』巻二十二、毛玠伝太祖為司空丞相,玠嘗為東曹掾,與崔琰並典選舉。其所舉用,皆清正之士,雖於時有盛名而行不由本者,終莫得進。務以儉率人,由是天下之士莫不以廉節自勵,雖貴寵之臣,輿服不敢過度。太祖歎曰:「(略)」文帝為五官將,親自詣玠,屬所親眷。玠答曰:「老臣(略)」大軍還鄴,議所并省。玠請謁不行,時人憚之,咸欲省東曹。乃共白曰:「舊西曹為上,東曹為次,宜省東曹。」太祖知其情,令曰:「(略)」...
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拓跋猗盧、西晋を救えず5

『魏書』巻一、序紀、穆帝六年,城盛樂以為北都,修故平城以為南都。帝登平城西山,觀望地勢,乃更南百里,於灅水之陽黃瓜堆築新平城,晉人謂之小平城,使長子六脩鎮之,統領南部。七年,帝復與劉琨約期,會於平陽。會石勒擒王浚,國有匈奴雜胡萬餘家,多勒種類,聞勒破幽州,乃謀為亂,欲以應勒,發覺,伏誅,討聰之計,於是中止。『資治通鑑』巻八十九、晋紀十一、建興二年(三月)劉琨請兵於拓跋猗盧以擊漢,會猗盧所部雜胡萬餘...
タグ:西晋 代国 前趙

拓跋猗盧、西晋を救えず4

311年、劉聡(前趙)は西晋を壊滅させますが、河南の地はほとんど統治できておらず、展開していた諸軍が食料不足に苦しむ中、石勒が王弥らを殺して自立を進めていたという状況でした。さらに南の華南には前趙の勢力は及ばず、西の関中では西晋残党が勢力を結集しつつあり、翌312年には長安を奪取するほどでした。そして東の并州や冀州も部分的にしか影響がなく、その状況の一因であるすぐ近くの勢力の劉琨はまさに目の上のた...
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拓跋猗盧、西晋を救えず3

資治通鑑などによると310年に、拓跋猗盧が劉琨を助け、劉琨により拓跋猗盧が代公となり、そして劉琨と拓跋猗盧が洛陽を救援しようとするも宰相の東海王司馬越により断られました。それでは翌311年はどうでしょうか。東海王司馬越が死ぬとその軍勢を石勒が襲撃して壊滅させ、続いて石勒を含む漢(前趙)の諸軍が結集して洛陽を陥落させ、西晋の皇帝を捕らえました。この由々しき事態に忠臣なる劉琨や協力者の拓跋猗盧はどう動...
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