謝晦の病

謝晦は宋の元勲であり、初代・武帝時代の筆頭重臣の一人でした。『宋書』巻一百、自序伝、沈林子遭母憂,還東葬,乘輿躬幸,信使相望。葬畢,詔曰:「軍國多務,內外須才,前鎮西諮議、建威將軍、河東太守沈林子,不得遂其情事,可輔國將軍起。」林子固辭,不許,賜墨詔,朔望不復還朝,每軍國大事,輒詢問焉。時領軍將軍謝晦任當國政,晦每疾寧,輒攝林子代之。(中略)上尋不豫,被敕入侍醫藥,會疾動還外。永初三年,薨,時年四...
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高孝珩の犬

北斉の広寧王高孝珩は多芸多才であり(特に絵の才能!)、さらには北斉の末期において最後まで諦めなかった「亡国の名臣」とも呼べる人物でした。捕らえられても節度を失わず、勝者からも敬意を払われ、一族の粛清に先んじて亡くなったおかげで故国の地に埋葬されたという晩節を全く汚すことなく終えることもできました。国は滅びてしまい、本人の望むところではなかったでしょうが。また、あの蘭陵王高長恭の兄ですよ!同時に王に...
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高澄の六子

『北史』巻五十二、斉宗室諸王下、文襄諸子文襄六男:文敬元皇后生河間王孝琬。宋氏生河南王孝瑜。王氏生廣寧王孝珩。蘭陵王長恭不得母氏姓。陳氏生安德王延宗。燕氏生漁陽王紹信。高澄には6人の息子がいました。基本的に異母兄弟ですね。『北史』巻五十二、斉宗室諸王下、河南王高孝瑜河南康獻王孝瑜,字正德,文襄長子也。初封河南郡公,齊受禪,進爵為王。歷位中書令、司州牧。初,孝瑜養於神武宮中,與武成同年相愛。(中略)...
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東魏の御史中尉4

『北斉書』巻二十、慕容紹宗伝元象初,西魏將獨孤如願據洛州,梁、潁之間,寇盜鋒起。高祖命紹宗率兵赴武牢,與行臺劉貴等平之。進爵為公,除度支尚書。後為晉州刺史、西道大行臺,還朝,遷御史中尉。屬梁人劉烏黑入寇徐方,令紹宗率兵討擊之,大破,因除徐州刺史。烏黑收其散眾,復為侵竊,紹宗密誘其徒黨,數月間,遂執烏黑殺之。慕容紹宗は538年以降に御史中尉となりました。『北史』巻五、魏孝静帝紀、武定二年二年春二月丁...
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東魏の御史中尉3

『北斉書』巻二十一、高乾伝、高慎元象初,出為兗州刺史。尋徵為御史中尉,選用御史,多其親戚鄉閭,不稱朝望,世宗奏令改選焉。慎前妻吏部郎中崔暹妹,為慎所棄。暹時為世宗委任,慎謂其搆己,性既狷急,積懷憤恨,因是罕有糾劾,多所縱舍。高祖嫌責之,彌不自安。出為北豫州刺史,遂據武牢降西魏。『魏書』巻五十七、崔挺伝、崔朗興和二年,中尉高仲密引為侍御史,尋加平西將軍。劉貴の後任はおそらく高慎。興和二年(540年)...
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高歓の後宮と長男&弟

535年正月、高歓が劉蠡升を討伐します。この際に長男の高澄が鄭氏(鄭大車)と密通したことから、杖刑の上、廃されそうになる騒動がありました。結局、「無かった」ことにされて収まります。これは北史・后妃伝や資治通鑑にありますね。また、高琛の没年(推定)から534年~537年のどこかで高琛と小爾朱氏の密通があり、高琛は杖刑の結果死に、小爾朱氏は霊州に流されました。情報源は北史・后妃伝と高琛伝。似たような事...
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高琛の没年、高叡の生年4

魏書・北斉書・北史・資治通鑑・墓誌から、高琛の死亡時期は3つの案まで絞られます。(案1)534年冬か535年正月(案2)535年か536年正月(案3)537年の春から秋の間(案1)と(案2)は列伝中の高叡の年齢から割り出せる生年のズレによるもの。(案3)は高琛・小爾朱氏・高湝の3者が絡んだ結果です。さらに今まで取り上げなかった範囲から考えてみましょう。『北斉書』巻十三、趙郡王高琛伝、高叡十歲喪母,...
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高琛の没年、高叡の生年3

再開。[01] 高叡は没年は569年(帝紀)、享年は36歳(列伝)。[02] [01]から高叡の生年は534年。[03] 高叡の生後三旬にして父の高琛が死亡(帝紀)。[04] [02]と[03]から高琛は534年か535年正月に死亡。[05] 高琛の死因は、高歓の妻妾との密通が原因の百叩き刑(列伝)。[06] 小爾朱氏は高湝を生んだ後、高琛との密通により流刑、後に別家に再婚(列伝)。[07] 高湝...
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東魏の御史中尉2

『北史』巻五、東魏孝静帝紀、天平三年(九月)丙辰,陽平人路季禮聚眾反。辛酉,御史中尉竇泰討平之。天平三年(536年)九月、御史中尉の竇泰が路季礼の反乱を討伐・平定。『北史』巻八十一、竇泰伝神武之為晉州,請泰為鎮城都督,參謀軍事。累遷侍中、京畿大都督,尋領御史中尉。泰以勳戚居臺,雖無多糾舉,而百僚畏懼。天平三年,神武西討,令泰自潼關入。四年,泰至小關,為周文帝所襲,眾盡沒,泰自殺。竇泰は妻が高歓の妻...
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東魏の御史中尉

北朝において御史中尉は格はそこそこでしたが、やはり弾劾を司る官として重要な存在でした。それも今までの御史中丞と同じですね。東魏でも同様。『北史』巻六、斉神武帝紀、天平元年建州刺史韓賢、濟州刺史蔡儁皆神武同義,魏帝忌之,故省建州以去賢,使御史中尉綦儁察儁罪,以開府賈顯智為濟州,儁拒之。天平元年(534年)五月頃、孝武帝が御史中尉の綦儁に済州刺史の蔡儁を弾劾させ、刺史を交代させようとしました。『北史』...
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