高澄の官歴再考2

『北史』天平元年(534年)に使持節・尚書令・大行台・并州刺史の加官。天平三年(536年)に入朝輔政開始。領左右・京畿大都督の加官。『魏書』天平三年(536年)2月に使持節・尚書令・大行台・大都督の加官。天平三年(536年)12月に尉景が并州刺史から太保となる。『北史』巻三十九、崔挺伝、崔暹尉景為并州,起暹為別駕。文襄代景,轉暹為開府諮議,仍行別駕事。從文襄鎮撫鄴都,加散騎常侍,遷左丞、吏部郎,領...
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高澄の官歴再考1

『北史』(とそれをベースとする『通鑑』)の時系列を修正するとすれば、どこから手を付けましょうか。まず、墓誌にあった「侍中・尚書令・領軍・開府儀同三司・渤海王世子」という組み合わせは確実でしょう。京畿大都督が抜けていますが、腹心の官歴から確実にこれに就任していたはずなので、ここでは省略されたか、さらに後から就任したのでしょう。『北史』巻三十二、崔挺伝、崔昂天平二年,文襄引為記室參軍,委以腹心之任;及...
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東魏の文襄&文宣4

北史帝紀の経歴は以下の通り。天平元年(534年)に高澄が使持節・尚書令・大行台・并州刺史を加官。(文襄帝紀)天平二年(535年)に高洋が太原郡公となる。(文宣帝紀)天平三年(536年)に高澄が入朝輔政。領左右・京畿大都督を加官。(文襄帝紀)元象元年(538年)に高澄が吏部尚書を兼任・代行。(文襄帝紀)興和二年(540年)に高澄が大将軍・領中書監を加官。攝吏部尚書のまま。(文襄帝紀)資治通鑑の経歴は...
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東魏の文襄&文宣3

『北史』巻六、斉文襄帝紀元象元年,攝吏部尚書。魏自崔亮以後,選人常以年勞為制。文襄乃釐改前式,銓擢唯在得人。又沙汰尚書郎,妙選人地以充之。至于才名之士,咸被薦擢。假有未居顯位者,皆致之門下,以為賓客。每山園游宴,必見招攜,執射賦詩,各盡其所長,以為娛適。元象元年(538年)、高澄が吏部尚書も兼ねるようになり、人事において腕を振るいました。『資治通鑑』巻一百五十八、梁紀十四、大同四年東魏以高澄攝吏部...
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東魏の領軍将軍2

『北史』巻五十三、万俟普伝、万俟洛洛字受洛干,隨孝武入關,除尚書左僕射。天平中,隨父東歸,封建昌郡公,再遷領軍將軍。(中略)及河陰之戰,諸軍北度橋,洛以一軍不動,謂西人曰:「万俟受洛干在此,能來可來也!」西人畏而去之。神武名其所營地為迴洛城。洛慷慨有氣節,勇銳冠世。卒,贈太師、大司馬、太尉、錄尚書,諡曰武。婁昭以外の領軍将軍に万俟洛(万俟受洛干)がいます。『北史』巻六、斉神武帝紀、天平三年二月,神...
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東魏の領軍将軍

魏晋南北朝時代において、領軍将軍は中軍・宿衛軍の代表格でした。君主や宰相の身内や腹心が就任することが多く、基本的に中央をおさえるための要となるポジションの一つですね。『北史』巻五十四、婁昭伝從破尒朱兆於廣阿,封安喜縣伯,改濟北公,又徙濮陽郡公,授領軍將軍。魏孝武將貳於神武,昭以疾辭還晉陽。後從神武入洛。兗州刺史樊子鵠反,以昭為東道大都督討之。子鵠既死,諸將勸昭盡捕誅其黨,昭曰:「(略)」遂皆捨焉。...
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東魏の文襄&文宣2

『魏書』巻十二、孝静帝紀、天平三年二月丁未,蕭衍光州刺史郝樹以州內附。丁酉,詔加齊文襄王使持節、尚書令、大行臺、大都督,以鮮卑、高車酋庶皆隸之。それでは『魏書』のこれはどうでしょうか。天平三年(536年)二月、高澄に使持節・尚書令・大行台・大都督が加官され、鮮卑・高車族が隷下に置かれることになった。『北史』の534年の人事と536年の人事が混ざったようなものですね。『資治通鑑』巻一百五十七、梁紀十...
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東魏の文襄&文宣

東魏を建て、統治した高歓(神武帝)。その息子達の中で、東魏において大きな役割を果たしたのは長男・高澄(文襄帝)と次男・高洋(文宣帝)です。東魏は534年に成立。高澄は521年生まれ、高洋は推定526年生まれ。つまり高澄は14歳で、高洋は9歳で東魏成立を迎えます。まず、北魏時点で高澄が侍中・驃騎大将軍・開府儀同三司・渤海王世子となっていました。『北史』巻六、斉文襄帝紀天平元年,加使持節、尚書令、大行...
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北魏の高澄

『北史』巻六、斉文襄帝紀魏中興元年,立為勃海王世子。就杜詢講學,敏悟過人,詢甚歎服。二年,加侍中、開府儀同三司,尚孝靜帝妹馮翊長公主。時年十二,神情儁爽,便若成人。神武試問以時事得失,辨析無不中理。自是軍國籌策皆預之。中興年間(531年10月~532年4月)に高澄は渤海王(高歓)の世子となり、侍中・開府儀同三司の位を受けていました。また、孝静帝(元善見)の姉妹の馮翊長公主を妻としており、さらに、わ...
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北魏の高琛と高岳2

『北斉書』巻十三、趙郡王高琛伝太昌初,除車騎大將軍、左光祿大夫,封南趙郡公,食邑五千戶。尋拜驃騎大將軍、特進、開府儀同三司、散騎常侍。永熙二年,除使持節、都督定州刺史、六州大都督。琛推誠撫納,拔用人士,甚有聲譽。及斛斯椿等釁結,高祖將謀內討,以晉陽根本,召琛留掌後事,以為并、肆、汾大行臺僕射,領六州九酋長大都督,其相府政事琛悉決之。天平中,除御史中尉,正色糾彈,無所回避,遠近肅然。尋亂高祖後庭,高...
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