高澄と四貴2

「左僕射の司馬子如・右僕射の高隆之・侍中の高岳・侍中の孫騰」という四貴の体制が変化したのはいつでしょうか。少なくとも537年末までは続いていたようですが。最初の大きな官の変化は孫騰が尚書令に転じたことでしょう。『北史』巻五十四、孫騰伝神武入討椿,留騰行并州事。入為尚書左僕射,內外之事,騰咸知之。兼司空,除侍中,兼尚書令。時西魏攻南兗州,詔騰率諸將討之。騰性怯無威略,失利而還。又除司徒,餘官如故。『...
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高澄と四貴

四貴が晋陽にいる高歓に代わって、東魏朝廷を取り仕切り始めたのは東魏建国後まもなく、534年か535年頃でしょう。定説では高澄の入朝輔政の開始が536年2月。主な役職は尚書令。高澄が権限増大により綱紀粛正を行ったのが544年。大将軍となった後ですね。この場合、高澄は実に8年もの間、四貴を掣肘できなかったことになります。だから恨み骨髄なのかもしれません。また、高澄が輔政し始めた時(16歳)やそれ以降の...
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東魏の四貴3

『北斉書』巻十八、孫騰伝天平初,入為尚書左僕射,內外之事,騰咸知之,兼司空、尚書令。時西魏遣將寇南兗,詔騰為南道行臺,率諸將討之。騰性尫怯,無威略,失利而還。又除司徒。初北境亂離,亡一女,及貴,遠加推訪,終不得,疑其為人婢賤。及為司徒,奴婢訴良者,不研虛實,率皆免之,願免千人,冀得其女。時高祖入朝,左右有言之者,高祖大怒,解其司徒。武定中,使於青州,括浮逃戶口,遷太保。初博陵崔孝芬養貧家子賈氏以為...
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東魏の四貴2

『北斉書』巻十八、孫騰伝孫騰,字龍雀,咸陽石安人也。祖通,仕沮渠氏為中書舍人,沮渠滅,入魏,因居北邊。及騰貴,魏朝贈通使持節、侍中、都督雍華岐豳四州諸軍事、驃騎大將軍、司徒公、尚書左僕射、雍州刺史,贈騰父機使持節、侍中、都督冀定滄瀛殷五州諸軍事、太尉公、尚書令、冀州刺史。騰少而質直,明解吏事。『北斉書』巻十八、高隆之伝高隆之,字延興,本姓徐氏,云出自高平金鄉。父幹,魏白水郡守,為姑壻高氏所養,因從...
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東魏の并州刺史6

『北斉書』巻四、文宣帝紀、武定七年十二月己酉,以并州刺史彭樂為司徒,太保賀拔仁為并州刺史。549年12月、并州刺史の彭楽が司徒となり、太保の賀抜仁が并州刺史となりました。彭楽は古参の猛将であり、賀拔仁もまた古参の良将でした。いわゆる勲貴の一員ですね。また、両者とも前線の刺史を経験しています。并州刺史だった平陽公高淹は、おそらく549年8月の高澄の死の前後ぐらいに離任しており(尚書左僕射として入朝し...
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東魏の四貴

宋(末)の「四貴」といえば、蕭道成・袁粲・褚淵・劉秉。隋(初)の「四貴」といえば、楊雄・高熲・虞慶則・蘇威。そして東魏の「四貴」といえば、孫騰・司馬子如・高岳・高隆之です。 『北斉書』巻十八、孫騰伝在鄴,與高岳、高隆之、司馬子如號為四貴,非法專恣,騰為甚焉。良い形で彼らが勢揃いする記述が2つあります。『北斉書』巻十八、司馬子如伝天平初,除左僕射,與侍中高岳、侍中孫騰、右僕射高隆之等共知朝政,甚見信...
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東魏の并州刺史5

可朱渾元の後の并州刺史は誰でしょうか?『北斉書』巻二十四、杜弼伝後從高祖破西魏於邙山,命為露布,弼手即書絹,曾不起草。以功賜爵定陽縣男,邑二百戶,加通直散騎常侍、中軍將軍。(中略)平陽公淹為并州刺史,高祖又命弼帶并州驃騎府長史。弼性好名理,探味玄宗,自在軍旅,帶經從役。注老子道德經二卷,表上之曰:(中略)又上一本於高祖,一本於世宗。武定中,遷衞尉卿。會梁遣貞陽侯淵明等入寇彭城、大都督高岳、行臺慕容...

東魏の并州刺史4

高洋が并州刺史から離任したのはいつでしょうか。『資治通鑑』巻一百五十八、梁紀十四、大同八年東魏丞相歡擊魏,入自汾、絳,連營四十里,丞相泰使王思政守玉壁以斷其道。歡以書招思政曰:「若降,當授以并州。」思政復書曰:「可朱渾道元降,何以不得﹖」冬,十月,己亥,歡圍玉壁,凡九日,遇大雪,士卒飢凍,多死者,遂解圍去。魏遣太子欽鎮蒲坂。丞相泰出軍蒲坂,至皂莢,聞歡退渡汾,追之,不及。十一月,東魏以可朱渾道元為...
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東魏の并州刺史3

高澄は536年に并州で大任を任されるようになりました。『魏書』巻十二、孝静帝紀、天平三年十有二月,以并州刺史尉景為太保。辛未,遣使者板假老人官,百歲已下各有差。壬申,大司馬、清河王亶薨。丁丑,齊獻武王自晉陽西討,次於蒲津,司徒公、大都督高敖曹趨上洛,車騎大將軍竇泰入自潼關。前任の并州刺史が離任した少し後に高歓らの西魏攻撃がありました。高歓は537年と538年にも自ら出陣して西魏と何度か戦っており、...
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東魏の并州刺史2

「東魏の并州刺史1」で述べたように、534年に北魏で(高歓の弟の)高琛は并肆汾大行台僕射・領六州九酋長大都督となり、補佐の崔暹と共に并州を任されていました。また、534年に北魏で侍中・尚書右僕射・領御史中尉だった高隆之が東魏の初頭に并州刺史となり、(入れ替わりで)高琛が御史中尉となりました。また、「高澄の官歴再考2」で述べたように、536年に并州刺史の尉景が離任し、高歓の長男の高澄がその後任の并州...
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