廬江太守陸康の謎

後漢書によると、陸康は180年に起きた江夏蛮&廬江賊の反乱10万を平定しました。そして195年に袁術らによって敗れる時もまた廬江太守でした。しかし羊続が廬江太守として黄巾賊などと戦っています。少なくとも184年頃から186年頃までは別の人物(羊続など)が廬江太守だったはずです。2度就任したのでしょうか。『後漢書』巻八十六、南蛮伝、巴郡南郡蛮光和三年,江夏蠻復反,與廬江賊黃穰相連結,十餘萬人,攻沒四...
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廬江太守盧植の謎

盧植は三国志でもお馴染みの人物でしょう。劉備の師匠、黄巾の乱を討伐した名将、などなど。彼もまた廬江太守だった時期がありました。『後漢書』巻六十四、盧植伝建寧中,徵為博士,乃始起焉。熹平四年,九江蠻反,四府選植才兼文武,拜九江太守,蠻寇賓服。以疾去官。作尚書章句、三禮解詁。時始立太學石經,以正五經文字,植乃上書曰:「(略)」會南夷反叛,以植嘗在九江有恩信,拜為廬江太守。植深達政宜,務存清靜,弘大體而...
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領軍大将軍の高帰彦3

婁叡が555年夏まで少なくとも領軍将軍だったとすると、高帰彦は領軍大将軍だった期間が割と短かったことになります。帝紀では558年5月に尚書僕射となっており、最大で丸3年ぐらい。(僕射と兼任の可能性も多少ありますが)北史の官歴省略度合は甚だしいので、何とでも言えてしまうのが難点。ただ、北斉書の高岳伝には555年11月に高岳が死ぬより先に高帰彦が領軍となっており、それまでには少なくとも領軍大将軍になっ...
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領軍将軍の婁叡

『北史』巻五十四、婁昭伝、婁叡昭兄子叡。叡字佛仁,父拔,魏南部尚書。叡幼孤,被叔父昭所養。為神武帳內都督,封掖縣子,累遷光州刺史,在任貪縱,深為文襄所責。後改封九門縣公。齊受禪,得除領軍將軍,別封安定侯。叡無他器幹,以外戚貴幸,縱情財色。為瀛州刺史,聚斂無厭。皇建初,封東安王。北史の列伝が言うには、婁叡は北斉が建国されると領軍将軍になったそうです。『北斉書』巻三十、高徳政伝帝已遣馳驛向鄴,書與太尉...
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徐陵と梁末の情勢3

「徐陵と梁末の情勢1」の続き。「主上又遣吏部尚書王通、鴻臚卿謝岐等至和州,與司馬行臺,共為盟誓。」これは555年の陳覇先による北斉との外交に関するものですね。背景としては、同年初頭に北斉が貞陽侯蕭淵明を梁の君主に擁立すべく軍を送り込んだことに対し、王僧辯らが屈して7月に奉戴したところ、陳覇先が王僧辯を殺して中断させ、別に敬帝を擁立しました。『資治通鑑』巻一百六十六、梁紀二十二、紹泰元年冬,十月,己...
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徐陵と梁末の情勢2

「徐陵と梁末の情勢1」の続き。この文中の「蕭太保」は広州の蕭勃のほうが相応しい気がします。侯車騎が帰順したらしきことも書いてあり、むしろ7月以降としたほうが良いのでは?侯瑱がこの時に車騎将軍から司空になったかどうかについては、世の注釈者も疑義を挟んでいます。さらに言えば、陳覇先を丞相と呼んでいるようですが、これの時期は9月以降のはずです。『南史』巻八、梁敬帝紀、太平元年十二月壬申,進太尉蕭勃為太保...
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徐陵と梁末の情勢1

梁~陳の大物文人である徐陵が書いた文は当時の情勢を知る上でも役に立つでしょう。読める方にはおすすめです。徐陵『為陳武帝作相時與北齊廣陵城主書』(前略)主上又遣吏部尚書王通、鴻臚卿謝岐等至和州,與司馬行臺,共為盟誓。而蕭軌等決信敗亡(中略)辱告承上黨殿下及匹婁領軍(中略)去歲柳達摩等,石頭天井,連月亢陽,三子纔降。(中略)侯車騎國家重將,分陝上流,近隔以邊塵,時虧表疏,王途既泰,貢賦相望,尋令子弟,...
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廬江太守羊続の活躍

後漢後期の廬江太守は有名人が何人かいますね。『後漢書』巻三十一、羊続伝羊續字興祖,太山平陽人也。其先七世二千石卿校。祖父侵,安帝時司隸校尉。父儒,桓帝時為太常。續以忠臣子孫拜郎中,去官後,辟大將軍竇武府。及武敗,坐黨事,禁錮十餘年,幽居守靜。及黨禁解,復辟太尉府,四遷為廬江太守。後揚州黃巾賊攻舒,焚燒城郭,續發縣中男子二十以上,皆持兵勒陳,其小弱者,悉使負水灌火,會集數萬人,并埶力戰,大破之,郡界...
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廬江太守陸康の活躍

廬江太守として有名な陸康には大きな軍功がありました。『後漢書』巻三十一、陸康伝會廬江賊黃穰等與江夏蠻連結十餘萬人,攻沒四縣,拜康廬江太守。康申明賞罰,擊破穰等,餘黨悉降。帝嘉其功,拜康孫尚為郎中。それが廬江の賊の黄譲らを撃破し、平定したことです。黄譲らは江夏蛮と連結して約10万人の大勢力となり、4つの県を攻め落とすほどの被害を出していました。それを平定したとなれば功は大きく、実際に朝廷から孫の陸尚...
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領軍大将軍の高帰彦2

『北史』巻五十一、斉宗室諸王伝上、平秦王高帰彦徵為兼侍郎,稍被親寵。以討侯景功,別封長樂郡公,除領軍大將軍。領軍加大,自歸彥始也。文宣誅高德正,金寶財貨,悉以賜之。乾明初,拜司徒,仍總知禁衞。濟南自晉陽之鄴,楊愔宣敕,留從駕兵五千於西中,陰備非常。至鄴數日,歸彥乃知之,由是陰怨楊、燕等。楊、燕等欲去二王,問計於歸彥。歸彥詐喜,請共元海量之。元海亦口許心違,馳告長廣。長廣於是誅楊、燕等。孝昭將入雲龍...
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Author:三文寒士
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