義興の陳慶之2

『梁書』巻三十二、陳慶之伝陳慶之字子雲,義興國山人也。幼而隨從高祖。高祖性好棊,每從夜達旦不輟,等輩皆倦寐,惟慶之不寢,聞呼即至,甚見親賞。陳慶之は「幼」年の頃から蕭衍のもとに居ました。この「幼」は数歳から15歳近くまで該当する幅がありますが、陳慶之の場合は側仕えができるぐらいの年齢だったと思われます。10代ですね。それ以前はどうでしょうか。所在不明なので、最も可能性の高い義興郡を確認します。『梁...
タグ: 南斉

陳慶之の誕生2

陳慶之は永明二年(484年)生まれ。この年の資治通鑑の記事を見てみましょう。『資治通鑑』巻一百三十六、斉帝二、永明二年春,正月,乙亥,以後將軍柳世隆為尚書右僕射;竟陵王子良為護軍將軍兼司徒,領兵置佐,鎮西州。子良少有清尚,傾意賓客,才雋之士,皆遊集其門。開西邸,多聚古人器服以充之。記室參軍范雲﹑蕭琛﹑樂安任昉﹑法曹參軍王融﹑衛軍東閤祭酒蕭衍﹑鎮西功曹謝朓﹑步兵校尉沈約﹑揚州秀才吳郡陸倕,並以文學,...
タグ: 南斉

陳慶之の誕生1

『梁書』巻三十二、陳慶之伝(大同)五年十月,卒,時年五十六。陳慶之は大同五年(539年)に56歳で死去。逆算すると生年は484年です。陳慶之の親族の情報はないので、前後の出来事を見てみましょう。まずは本籍の義興で起きたことから。義興は昔から内地でしたが、戦禍に見舞われることがありました。宋の「劉子勛の乱」(465年~466年)では義興も反乱側に参加し、明帝(劉彧)側の呉喜などによって平定されていま...
タグ: 南斉

義興の陳慶之

『梁書』巻三十二、陳慶之伝陳慶之字子雲,義興國山人也。陳慶之は義興(郡)・国山(県)の人です。今回は義興郡の紹介。この義興郡は漢王朝や三国志の頃には無かった郡です。当時は呉郡の一部でした。呉郡は太湖を中心に、東に進めば海、北に進めば長江河口、西に進めば丹陽郡南部、南に進めば浙江(銭塘江)と河口(渡ると会稽郡)、という立地でした。(ちなみに「太湖」は琵琶湖の約3倍の大きさの湖で、周囲の湖と併せて「五...
タグ: 地理

名将・陳慶之の出自

陳慶之は今や南朝の名将としてかなり有名でしょう。北朝の首都・洛陽を制圧した「陳慶之の北伐」の偉業で知られます。(この北伐は通鑑紀事本末で「元顥入洛」としてまとめられています)南朝の首都・建康を破滅させた「侯景の乱」から20年ほど前の出来事。枕流亭「陳慶之伝」http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column04.html陳慶之がどのような人物なのか知りたければ、こちらのサイトを含めてネット上で色々見つかるでしょう。...
タグ:

令和元年十二月

昨年十二月の当ブログ記事のまとめです。「太原王氏編」と「補足編」(高宝阮放編)がメイン。12/1 「崔浩の母」崔浩の母・盧氏の出自や祖先について。12/2 「崔浩と太原王氏1」太原王氏編6。崔浩と太原王氏の最初の接点など。12/3 「崔浩と太原王氏2」太原王氏編7。王愉・王懿・王慧龍の動きなど。12/4 「崔浩と太原王氏3」太原王氏編8。王慧龍の北魏入りと崔浩との接点について。12/5 「崔浩と太...
タグ:紹介

袁粲と主書

『宋書』巻八十九、袁粲伝時粲與齊王、褚淵、劉秉入直,平決萬機,時謂之「四貴」。粲閑默寡言,不肯當事,主書每往諮決,或高詠對之,時立一意,則眾莫能改。宋の袁粲は蕭道成・褚淵・劉秉らと共に国政を宰領し「四貴」と呼ばれていました。彼は寡黙でなかなか口出ししない人物でしたが、「主書」が訪れて判断を仰いだ際、もし回答したならば、内容は改めようもないほど見事なものだったとか。「主書」が宰相のもとに訪れていたよ...

呉興の呉喜、主書となる

呉喜、元は名前は呉喜公。彼は寒門から武功で出世した人物でありながら、文事にも通じており(元は文吏)、宋末期の軍人バブル期において目を引く人材です。蕭道成が死なずに済んだ恩人でもあり、また当時の武勲は彼に勝り、もし呉喜が蕭道成並の出自ならばさらなる出世が見込めたでしょう。残念ながら、明帝の巧妙な手口によって葬られましたが。呉喜自身が文書に通じたためか、寒門から出世した者の中でも下級役人時代の記録が詳...
タグ:

荀万秋の主書

『宋書』巻六十、荀伯子伝荀伯子,潁川潁陰人也。祖羨,驃騎將軍。父猗,祕書郎。(中略)伯子族弟昶字茂祖,與伯子絕服五世。元嘉初,以文義至中書郎。昶子萬秋字元寶,亦用才學自顯。世祖初,為晉陵太守。坐於郡立華林閣,置主書、主衣,下獄免。前廢帝末,為御史中丞,卒官。宋の孝武帝の時、晋陵太守の荀万秋が郡に「華林閣」を立て、「主書」や「主衣」を置いたため下獄となりました。「華林閣」は宮殿の建物、「主衣」は皇帝...
タグ: 潁川

杜坦・杜驥と主書

宋の杜坦&杜驥は兄弟で長らく青州刺史を務めた名地方官でした。先祖は西晋の杜預。一族は西晋が崩壊すると河西に逃れて前涼に仕え、前涼が前秦に滅ぼされると関中に戻り、その後、劉裕が関中を制圧して江東に帰還するとこれに従って南朝に仕えるようになっていました。『宋書』巻六十五、杜驥伝杜驥字度世,京兆杜陵人也。高祖預,晉征南將軍。曾祖耽,避難河西,因仕張氏。苻堅平凉州,父祖始還關中。兄坦,頗涉史傳。高祖征長安...
タグ:

プロフィール

三文寒士

Author:三文寒士
魏晋南北ブログへようこそ!

反応は遅いですが、ご意見・ご要望などがあれば、気軽にブログやツイッターへどうぞ

最新記事

検索フォーム