梁の文徳主帥1

502年に梁が建国されると、武帝は旧友の范雲を取り立て、翌年には尚書右僕射に任命します。残念ながら、范雲はその年に亡くなってしまいますが。『南史』巻五十七、范雲伝帝嘗與雲言及舊事,云:「朕司州還,在三橋宅,門生王道牽衣云,『聞外述圖讖云,齊祚不久,別應有王者。官應取富貴』。朕齋中坐讀書,內感其言而外迹不得無怪,欲呼人縛之,道叩頭求哀,乃不復敢言。今道為羽林監、文德主帥,知管籥。」雲曰:「此乃天意令...
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陳慶之と蕭綜の北伐2

別視点版。『梁書』巻三、武帝紀下、普通六年六年春正月丙午,安北將軍晉安王綱遣長史柳津破魏南鄉郡,司馬董當門破魏晉城。庚戌,又破馬圈、彫陽二城。辛亥,輿駕親祠南郊,大赦天下。庚申,魏鎮東將軍、徐州刺史元法僧以彭城內附。己巳,雍州前軍剋魏新蔡郡。詔曰:「廟謨已定,王略方舉。侍中、領軍將軍西昌侯淵藻,可便親戎,以前啟行;鎮北將軍、南兗州刺史豫章王綜董馭雄桀,風馳次邁;其餘眾軍,計日差遣,初中後師,善得嚴...
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陳慶之と蕭綜の北伐1

『梁書』巻三十二、陳慶之伝普通中,魏徐州刺史元法僧於彭城求入內附,以慶之為武威將軍,與胡龍牙、成景儁率諸軍應接。還除宣猛將軍、文德主帥,仍率軍二千,送豫章王綜入鎮徐州。魏遣安豐王元延明、臨淮王元彧率眾二萬來拒,屯據陟◯。延明先遣其別將丘大千築壘潯梁,觀兵近境。慶之進薄其壘,一鼓便潰。後豫章王棄軍奔魏,眾皆潰散,諸將莫能制止,慶之乃斬關夜退,軍士得全。『南史』巻六十一、陳慶之伝普通中,魏徐州刺史元法...
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陳慶之と元法僧の帰順2

『梁書』巻三十二、陳慶之伝普通中,魏徐州刺史元法僧於彭城求入內附,以慶之為武威將軍,與胡龍牙、成景儁率諸軍應接。還除宣猛將軍、文德主帥,仍率軍二千,送豫章王綜入鎮徐州。『南史』巻六十一、陳慶之伝普通中,魏徐州刺史元法僧於彭城求入內附,以慶之為武威將軍,與胡龍牙、成景儁率諸軍應接。還除宣猛將軍、文德主帥,仍率軍送豫章王綜入鎮徐州。普通年間に北魏の徐州刺史の元法僧が彭城で帰順すると、陳慶之が武威将軍(...
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陳慶之と元法僧の帰順1

建国から18年続いた天監年間の梁は、対外的には押し込まれていた前線をある程度回復し、また北魏の南征軍を挫いており、国内では諸改革が進められ、武帝の善政により繁栄に向かった時代でした。陳慶之が19歳から36歳の時です。520年、梁は「普通」と改元。(「普通」とは普通ではない元号ですね)この年の梁では韋叡・馮道根・康絢など建国から天監年間の北魏との戦いで活躍してきた武将達が相次いで亡くなっていました。...
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陳慶之、将軍になる

出仕した陳慶之は私財を投じて人を集め、大志を抱いていたようです。その頃の陳慶之が就任した主書や奉朝請では朝廷周りでささやかに活動する程度で、国に大きく貢献したり、大功を立てたりすることは叶いませんでした。『梁書』巻三十二、陳慶之伝從高祖東下平建鄴,稍為主書,散財聚士,常思効用。除奉朝請。普通中,魏徐州刺史元法僧於彭城求入內附,以慶之為武威將軍,與胡龍牙、成景儁率諸軍應接。還除宣猛將軍、文德主帥,仍...
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令和二年一月

一月の当ブログ記事のまとめです。「王導一家編」と「陳慶之編」がメイン。1/1 「魏晋南北ブログ6年目」新年の挨拶。1/2 「侯景『南史』版」『南史』における侯景像。高歓と親しかった野心的な知将。武事は苦手。1/3 「侯景『梁書』版」『梁書』における侯景像。将兵の心を掴んだ歴戦の将。武事にも秀でる。1/4 「侯景『建康実録』版」『建康実録』における侯景像。『南史』と『梁書』の良いとこ取り?1/5 「...
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常邕和・成景儁の帰順3

『魏書』巻八、宣武帝紀、永平元年冬十月丁巳,詔復故北海王詳本封,葬以王禮。豫州彭城人白早生殺刺史司馬悅,據城南叛,蕭衍遣將齊苟仁等四將以助之。詔尚書邢巒行豫州事,督將軍崔暹率騎討之。丙子,邢巒大破早生及苟仁軍於鮑口。丁丑,前宿豫戍主成安樂子景儁殺宿豫戍主嚴仲賢,以城南叛。十有一月庚寅,詔安東將軍楊椿率眾四萬攻宿豫。『梁書』巻二、武帝紀、天監七年冬十月丙寅,以吳興太守張稷為尚書左僕射。丙子,魏陽關主...
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常邕和・成景儁の帰順2

『魏書』巻八、宣武帝紀、正始四年冬十月丁巳,高麗、半社、悉萬斤、可流伽、比沙、疏勒、于闐等諸國並遣使朝獻。丁卯,皇后于氏崩。戊辰,疏勒國遣使朝貢。庚午,淮陽太守安樂以城南叛。『梁書』巻二、武帝紀、天監六年十二月丙辰,尚書左僕射夏侯詳卒。乙丑,魏淮陽鎮都軍主常邕和以城內屬。507年の出来事として、魏書の「10月の淮陽太守の成安楽の離反」と梁書の「12月の淮陽鎮都軍主の常邕和の離反」の2つあります。資...
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常邕和・成景儁の帰順1

『資治通鑑』巻一百四十六、梁紀二、天監六年十二月,丙辰,豐城景公夏侯詳卒。乙丑,魏淮陽鎮都軍主常邕和以城來降。『資治通鑑』巻一百四十七、梁紀三、天監七年冬,十月,魏懸瓠軍主白早生殺豫州刺史司馬悅,自號平北將軍,求救於司州馬仙琕。時荊州刺史安成王秀為都督,仙琕籤求應赴。參佐咸謂宜待臺報,秀曰:「(略)」即遣兵赴之。上亦詔仙琕救早生。仙琕進頓楚王城,遣副將齊苟兒以兵二千助守懸瓠。詔以早生為司州刺史。丙...
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