元嘉諸王略史14

①-③文帝46歳、①-⑤江夏王40歳、①-⑥南譙王38歳、①-③-①皇太子29歳、①-③-②始興王24歳、①-③-③武陵王23歳、①-③-④南平王22歳、①-③-⑤廬陵王21歳、①-③-⑥広陵王20歳、①-③-⑦建平王21歳、①-③-⑧東海王17歳、①-③-⑨義陽王17歳元嘉二十九年(452年)まず、この年に文帝の十二男の劉休仁(10歳)が建安郡王に立てられます。宋は文帝の代まで10歳前後になってから王に立てていました。残る十三...
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元嘉諸王略史13

①-③文帝45歳、①-⑤江夏王39歳、①-⑥南譙王37歳、①-③-①皇太子28歳、①-③-②始興王23歳、①-③-③武陵王22歳、①-③-④南平王21歳、①-③-⑤廬陵王20歳、①-③-⑥広陵王19歳、①-③-⑦建平王18歳、①-③-⑧東海王16歳、①-③-⑨義陽王16歳元嘉二十八年(451年)元日、北魏が瓜歩山で大会を開き、論功行賞を実施。2日、北魏が撤退開始。北魏は撤退の途中で盱眙城を1ヶ月近く包囲したものの(臧質らの抵抗に...
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元嘉諸王略史12

①-③文帝44歳、①-⑤江夏王38歳、①-⑥南譙王36歳、①-③-①皇太子27歳、①-③-②始興王22歳、①-③-③武陵王21歳、①-③-④南平王20歳、①-③-⑤廬陵王19歳、①-③-⑥広陵王18歳、①-③-⑦建平王17歳、①-③-⑧東海王15歳、①-③-⑨義陽王15歳元嘉二十七年(450年)1月、北魏君主の拓跋燾が洛陽に到着し、まもなく宋に「狩り」を行うと通達。2月、拓跋燾が国境近くで「大蒐」。さらにそのまま豫州(淮西)の汝...
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元嘉末攻防略史11

「元嘉末攻防略史10」で452年の北伐の流れと主攻の碻磝攻めについて述べましたが、他の3軍団はどうなったのでしょうか。同452年5月、入朝していた魯爽(司州刺史)が魯秀・程天祚と共に歩騎・荊州甲士4万を率いて許・洛へ進軍開始。北朝側の記録を見ると、梁坦(豫州軍)が大将か先鋒だったようです。8月、長社を突破して大索戍に到達。そこで北魏の豫州刺史の襲撃を受けますが、魯秀の奮戦で撃退し、虎牢まで押し込み...
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元嘉末攻防略史10

元嘉二十九年(452年)2月上旬、北魏の太武帝が死亡(享年45歳)。宦官宗愛により南安王が皇帝に即位。宗愛は瓜歩の論功行賞で秦郡公となった大物。この時、南安王の兄の東平王などが即位の障害になるとして殺害されました。なお、南安王拓跋余は元は呉王で、太武帝南伐の際は首都を任されていました。4月、司州刺史の魯爽が入朝。魯爽は弟の魯秀らと共に昨年の北魏撤退時に豫州に亡命して来た猛将。魯爽の父の魯軌は劉裕と...
タグ: 北魏

呉の孫晷の人脈2

「呉の孫晷の人脈1」の続き。『晋書』巻八十八、孝友伝、孫晷會稽虞喜隱居海嵎,有高世之風。晷欽其德,聘喜弟預女為妻。喜戒女棄華尚素,與晷同志。時人號為梁鴻夫婦。濟陽江惇少有高操,聞晷學行過人,自東陽往候之,始面,便終日譚宴,結歡而別。司空何充為揚州,檄晷為主簿,司徒蔡謨辟為掾屬,並不就。尚書張國明,州土之望,表薦晷,公車特徵。會卒,時年三十八,朝野嗟痛之。晷未及大斂,有一老父縕袍草屨,不通姓名,徑入...
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呉の孫晷の人脈1

『晋書』巻八十八、孝友伝、孫晷孫晷字文度,吳國富春人,吳伏波將軍秀之曾孫也。晷為兒童,未嘗被呵怒。顧榮見而稱之,謂其外祖薛兼曰:「此兒神明清審,志氣貞立,非常童也。」及長,恭孝清約,學識有理義,每獨處幽闇之中,容止瞻望未嘗傾邪。雖侯家豐厚,而晷常布衣蔬食,躬親壟畝,誦詠不廢,欣然獨得。孫晷は字を文度といい、呉国富春の人でした。「呉郡富春の孫氏」といえば、三国・呉の皇帝一族。孫晷もまた大帝孫権の弟の...
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元嘉末攻防略史9

450年冬に始まり、451年春に終わった北魏の南伐は、領土的には宋の北伐で失った地域を取り返したぐらいでめぼしい変動はありませんでしたが、一帯の住民の生活や国力に対しては深刻な打撃をもたらしました。北朝側の記録では、数十万が瓜歩などに到達(騎士60万?)、江北で降伏した民は数十万(淮南は全て降伏)、南兗州・豫州・徐州・兗州・青州・冀州の6州で勝利して数え切れないほど殺掠、降民5万家ほどを首都一帯に...
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元嘉末攻防略史8

12月、淮南に進出した北魏軍は魯秀を広陵、高涼王を山陽に展開し、寿陽を包囲していた永昌王を横江に向かわせ、諸城を掃討させました。この時、淮南の諸城は住民を収容して籠城を続けており、広陵に至っては役所や船を焼き払って住民を長江南岸に移しています。また淮水下流南岸の山陽城には滑台や盱眙に送られる予定だった物資や武器が集積され、籠城と水攻めを含む徹底応戦の準備がありました。この頃になると略奪で兵站を維持...
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元嘉末攻防略史7

北魏の長安方面軍を率いる永昌王拓跋仁は虎牢の包囲軍を蹴散らした後、豫州に侵攻します。(「元嘉末攻防略史5」の続き)11月、永昌王は懸瓠を陥落させ、(東進して)項城を抜き、(東南の汝陰に進んで)寿陽に迫ります。文帝は寿陽で南平王劉鑠が包囲されることを恐れ、(寿陽から)虎牢方面に出ていた左軍将軍劉康祖に引き返させます。左将軍の南平王劉鑠は左軍長兼行参軍の王羅漢と兵3百に尉武戍(寿陽のすぐ近く)を守らせ...
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