豫州の夏侯夔

『梁書』巻二十八、夏侯亶伝、夏侯夔
三年,遷使持節,進號仁威將軍,封保城縣侯,邑一千五百戶。中大通二年,徵為右衞將軍,丁所生母憂去職。時魏南兗州刺史劉明以譙城入附,詔遣鎮北將軍元樹帥軍應接,起夔為雲麾將軍,隨機北討,尋授使持節、督南豫州諸軍事、南豫州刺史。

529年、(信武将軍・司州刺史の)夏侯夔は仁威将軍に昇格し、保城県侯の封爵。また、この年に兄の平北将軍・豫南豫二州刺史の夏侯亶が死去。

翌530年に夏侯夔は右衛将軍として都に召喚されますが、まもなく生母が亡くなると服喪のため離職しました。
(次の事績が532年なので、530年から3年の服喪に入ったか、531年か532年から短期間の服喪だったと考えられます)

その後、北魏の譙城の帰順を受けて532年春に元樹を先鋒とする北伐が行われましたが、7月に敗北して譙城は陥落し、元樹らは捕らえられました。
この元樹の北伐の際に、夏侯夔は雲麾将軍として官界に復帰し、北伐に関与しました。
ここで夏侯夔が何をやったのか他の情報はありませんが、最前線には出ていないと思われます。(最前線なら敗北に巻き込まれていたはず)


それから夏侯夔は使持節・督南豫州諸軍事・南豫州刺史に就任。将軍号は雲麾将軍でしょう。

『梁書』巻二十八、夏侯亶伝、夏侯夔
尋授使持節、督南豫州諸軍事、南豫州刺史。六年,轉使持節、督豫淮陳潁建霍義七州諸軍事、豫州刺史。豫州積歲寇戎,人頗失業,夔乃帥軍人於蒼陵立堰,溉田千餘頃,歲收穀百餘萬石,以充儲備,兼贍貧人,境內賴之。夔兄亶先經此任,至是夔又居焉。兄弟並有恩惠於鄉里,百姓歌之曰:「我之有州,頻仍夏侯;前兄後弟,布政優優。」在州七年,甚有聲績,遠近多附之。有部曲萬人,馬二千匹,並服習精強,為當時之盛。性奢豪,後房伎妾曳羅縠飾金翠者亦有百數。愛好人士,不以貴勢自高,文武賓客常滿坐,時亦以此稱之。大同四年,卒於州,時年五十六。有詔舉哀,賻錢二十萬,布二百匹。追贈侍中、安北將軍。諡曰桓。

534年には使持節・督豫淮陳潁建霍義七州諸軍事・豫州刺史に転任。
淮・陳・潁は淮北西南部、建・霍・義は淮南西北部。淮水の中流から上流にかけての地域ですね。
ちなみに、上流(西側)の隣が南北司二州刺史陳慶之の都督区域です。

着任した当初、豫州は長年の戦災により生業を失った者が多かったようです。
そこで夏侯夔は軍人を率いて蒼陵に堰を作り、それにより千頃ほどの田地を灌漑して得た増収分を備蓄と貧民救済に当てました。
(蒼陵は淮水南岸にあり、寿春/寿陽のすぐ西の土地)

夏侯夔は538年に豫州で死去。享年は56歳。
7年間に渡った夏侯夔の豫州統治は評判が非常に高く、先年に就任していた兄の夏侯亶と共に郷里に恩恵をもたらしたとして民衆から讃えられて「我之有州,頻仍夏侯;前兄後弟,布政優優。」と歌われました。
また、夏侯夔は部曲1万人と馬2千匹を有し、熟練精強で名高かったそうです。
追贈は侍中(十二班)と安北将軍の組み合わせ。
(将軍号は等級で上から10位→9位→7位→4位の昇格)


兄に劣らぬ統治手腕を発揮し、前線の有力者として評価されていた夏侯夔の死は、翌年の陳慶之の死と共ににとってはなかなかの損失だったでしょう。当時は北朝と和平状態だったのが幸いでしたね。

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1件のコメント

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夏候キを取り上げていただいてありがとうございました!
  • 2021-03-02
  • 投稿者 : kkk
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