前兄後弟、豫州二龍

『太平御覧』巻二百五十六、職官部五十四、良刺史上
『梁書』
夏侯亶,字世龍;弟夔,字季龍。并任豫州,人歌曰︰「我之有州,頻仍夏侯;前兄後弟,布政優優。」

兄の夏侯亶(字は世龍)と弟の夏侯夔(字は季龍)は相次いで豫州の刺史を務め、善政を敷いたことから「前兄後弟」などと歌われました。

今風に彼らを呼ぶならば、字の「龍」を使って「豫州二龍」なんてどうでしょうか。
(中国語圏では「二難」という呼称が見つかります。「得難い二人」)


夏侯亶は振る舞いが美しく、文学史学をたしなみ、弁論は当意即妙。そして温厚で度量があるという人物でした。
また、清廉で質素倹約、顕彰されるほどの能吏、亡き上司への義理を果たす者としても記録を残しました。
元勲の後継者として、文武の能臣として、十全な才知と誠心を備えていたというべきでしょう。

夏侯夔は豪奢でしたが、地位・権勢を驕らず人付き合いを好み、常に文人・武人の賓客で溢れていたことで讃えられました。
また、規律を保つ軍、精強な部曲、放縦な息子への引導などの記述もありました。
権門や軍人らしい豪勢な気風を備えながらも厳正に職務を果たした好人物ではないでしょうか。


夏侯亶は功臣二世の中では年長であり、南斉の頃から貢献してでかなり高官まで出世。晩年には同郷の裴邃から北伐を引き継いで故郷の寿陽の奪還を成し遂げました。
夏侯夔は功臣二世としての中央で出世しますが、北伐では蛮や淮水の近くで活動し、兄と同時期に前線の長官となり、また兄の死後に寿陽の統治も長らく担いました。

中期における淮水上流域の奪還・支配の要となった兄弟といえるでしょう。
あと1歩上手くいけば、同時代の陳慶之の北伐も大きく変わったかもしれませんね。


『梁書』巻二十八
史臣曰:裴邃之詞采早著,兼思略沉深,夏侯亶之好學辯給,夔之奢豪愛士,韋放之弘厚篤行,並遇主逢時,展其才用矣。及牧州典郡,破敵安邊,咸著功績,允文武之任,蓋梁室之名臣歟。

夏侯亶夏侯夔は確かに「梁室之名臣」と呼ぶに相応しい者達でした。

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1件のコメント

[C31]

とても興味深く読ませていただきました。ありがとうございました!
  • 2021-03-05
  • 投稿者 : kkk
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