慕容皝の子の初陣2

『晋書』巻一百十一、慕容暐載記、慕容恪
母高氏無寵,皝未之奇也。年十五,身長八尺七寸,容貌魁傑,雄毅嚴重,每所言及,輒經綸世務,皝始異焉,乃授之以兵。

四男の慕容恪は15歳になってから父に評価され、兵を授けられました。

『魏書』巻九十五、徒何慕容廆伝、慕容垂
年十三,為偏將,所在征伐,勇冠三軍。

五男の慕容覇は13歳にして偏将となり、やがて軍事において頭角を現します。
慕容覇の方が若くして軍を率いる立場となったのは、やはり早くから父に寵愛や評価されていたためでしょう。


さて、慕容皝の次男の慕容儁は世子(335年7月)や王太子(337年冬)になりましたが、慕容覇(後の慕容垂)の方が寵愛を受けており、慕容皝慕容覇を世子にしようと考えたこともあったようです(「慕容皝の世子」)。
また、記録上の初陣は、慕容儁が336年10月頃、慕容恪が338年5月、慕容覇(慕容垂)が338年冬頃です(「慕容皝の子の初陣」)。

333年夏、遼東公慕容廆が死に、世子慕容皝が継承。
335年秋、慕容皝が次男の慕容儁(17歳)を世子に立てる。
336年冬頃、世子慕容儁(18歳)の段遼攻撃。初陣?
337年冬、慕容皝が燕王に即位し、世子慕容儁(19歳)が王太子となる。
338年夏、慕容皝が四男の慕容恪(15歳以上)を対後趙戦に出す。初陣?
338年、慕容皝が五男の慕容覇(13歳)を将帥に起用。
339年、慕容覇(14歳)が高句麗遠征に参加。初陣?

これらの初陣や初期の軍功が世子問題に絡んでいたとすると面白いですね。

慕容儁が世子になった翌年頃に戦に出て功績を挙げたおかげで、撤回される危機をひとまず脱して王太子になれたのかもしれませんね。
ただ、さらに翌年に慕容覇が将となり、若くして戦場に出て功績を立てたりするので、安泰だったのかどうか。(さらに初陣後の様子を見て、世子を慕容覇に変えようと思ったという可能性も?)

タグ:前燕 後燕

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