蜀漢の術士2

「蜀漢の術士」杜瓊周羣の他に蜀漢に絡む術士、あるいは術数に詳しい者はいるでしょうか。

例えば、杜瓊伝に登場した譙周

『三国志』巻四十二、譙周伝
譙周字允南,巴西西充國人也。父𡸫,字榮始,治尚書,兼通諸經及圖、緯。州郡辟請,皆不應,州就假師友從事。周幼孤,與母兄同居。既長,耽古篤學,家貧未嘗問產業,誦讀典籍,欣然獨笑,以忘寢食。研精六經,尤善書札。頗曉天文,而不以留意;諸子文章非心所存,不悉徧視也。身長八尺,體貌素朴,性推誠不飾,無造次辯論之才,然潛識內敏。

巴西の譙周は父の譙𡸫が河図・讖緯などの預言書解釈に精通しており、自身は天文に通暁し、蜀漢滅亡の頃にいくつかの予言を当てていました。
また、三国志には著者の陳寿西晋譙周に会った時の逸話が載っていますが、著者自身の意見として譙周の「術」が述べられています。


『三国志』巻四十二、周羣伝
時州後部司馬蜀郡張裕亦曉占候,而天才過羣,(後略)

周羣伝に附伝される蜀郡の張裕も占術に通暁し、才能は周羣を超えたほどと書かれています。
劉備に処刑されましたが。


『三国志』巻四十五、楊戯伝、季漢輔臣賛
彥英名,蜀郡郫人也。事廣漢任安學,精究安,與杜瓊同師而名問過之。劉璋時,為犍為太守。先主定益州,領牧,辟為從事祭酒。後援引圖、讖,勸先主即尊號。踐阼之後,遷為大鴻臚。建興中卒。

杜瓊と同門(任安の弟子)だった蜀郡の何宗は、評判も官歴も杜瓊を上回ったという人物。杜瓊らと共に河図・讖緯などを使って劉備の皇帝即位を勧めたという功績もありました。巴蜀では楊厚の弟子の任安から「術」を学んだ者が何人かおり、何宗はその一人でした。
(ちなみに周羣は父を通じて楊厚の孫弟子)


術士まで行かなくとも、占いや予言に関する知識を備えた者は他にもいます。

『三国志』巻四十二、李譔伝
李譔字欽仲,梓潼涪人也。父仁,字德賢,與同縣尹默俱游荊州,從司馬徽、宋忠等學。譔具傳其業,又從默講論義理,五經、諸子,無不該覽,加博好技藝,算術、卜數、醫藥、弓弩、機械之巧,皆致思焉。(中略)著古文、尚書、毛詩、三禮、左氏傳、太玄指歸,皆依準賈、馬,異於鄭玄。

梓潼の李譔は博学多才であり、医薬や機械工作の他に占いの技能もありました。学術的には『易』の独自解釈もありますね。


『三国志』巻三十九、董允伝、陳祗
祗字奉宗,汝南人,許靖兄之外孫也。少孤,長於靖家。弱冠知名,稍遷至選曹郎,矜厲有威容。多技藝,挾數術,費禕甚異之,故超繼允內侍。

汝南の陳祗蜀漢後期(費褘の死後)において宰相クラスの大物ですが、元々は多芸で術数にも通じていたことを費褘に評価されて取り立てられたという経緯がありました。
費褘は望気者の発言を気にしており、その分野に関心が高かったのかもしれません。
(また費褘杜瓊を重んじた一人)


『三国志』巻三十七、法正伝、注引『三輔決録注』
(法)真字高卿,少明五經,兼通讖緯,學無常師,名有高才。(中略)號曰玄德先生。年八十九,中平五年卒。

蜀漢には直接関係ありませんが、法正の祖父の「玄徳先生」法真は讖緯に精通していたそうです。
法正にその知識が伝えられていたか、気になるところです。

タグ:蜀漢 後漢

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