荀爽出仕3

荀爽が司空となったのは『後漢書』によると「十二月戊戌」ですが、この年の十二月には「戊戌」の日は無いため、「閏十二月戊戌」が正しいと思われます。
しかし『後漢紀』では十一月に繋げて載せており、「十一月戊戌」という候補が出てきます。
例えば、『後漢書』では翌年の「二月の癸酉」を「正月の癸酉」と記しており、他でも月がズレている可能性はあるでしょう。

ところが何進が殺された八月戊辰は十一月戊戌の90日前となります。
董卓が権力を得てから93日又は95日経っておらず、これは却下です。


他の選択肢は、月は十二月ですが日付が一文字間違いのケース。
戊戌の一文字違いでその十二月にあるのは、戊申・庚戌・戊午・壬戌・戊辰のはず。
95日前は早い側で九月上旬、遅い側で九月下旬。
九月に董卓荀爽を招いた時期としてどれも否定はできず、流石に上旬は早いと思いますが後半なら何ら問題はないでしょう。

十二月説の唯一の問題は、陳紀が18日で侍中から平原相に移り、出発前に長安遷都の話が出ていることです。十二月説を採ると翌年まで一ヶ月あるため、陳紀の転任が年内になるか、侍中の就任が遅い又は平原相への出発が遅いといった後ろ倒しにするための辻褄合わせが必要になります。

そのため、陳紀の列伝を最大限重んじるならば「閏十二月戊戌」説しかないでしょう。


ちなみに「十二月戊辰」説の場合は、豫州牧の黄琬が司徒になった九月甲午からちょうど95日目。その時期に豫州に居た者に一斉に人事が出されたパターンでも面白いですね。
『後漢紀』に「(董)卓雖無道,而外以禮賢為名,黃琬、荀爽之舉,從民望也。」とあるので、黄琬荀爽を同時に招こうとするのは十分有り得るでしょう。

タグ:後漢 潁川

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